旅の現象学

2012年から2013年にかけてのユーラシア大陸自転車旅行の記録です。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 アユタヤに着いた日の夕方と翌日の午前中は、街の中に点在している遺跡を見て回った。圧倒されるような感動はなかったけど、街も遺跡もそんなに人が多くなく落ち着いた雰囲気で、遺跡にふさわしいゆったりとした時間が流れていて、居心地が良かった。

遺跡の写真を何枚か。
DSC_0370.jpg

DSC_0377.jpg

DSC_0417.jpg

DSC_0413.jpg

DSC_0420.jpg

 さて、アユタヤから先については書くのがちょっと難しい。これを書いている今、僕はタイを走り終えて、ラオスの国境があるナコンパノムという街にいる。10日かけて大体700kmくらい走ったのだけど、客観的にみるとかなり淡々とした道のりだった。強く心を揺さぶる景色にも出会わなかったし、人ともそんなに関わらなかった。それはタイという国のせいではなく、単純に僕がそういうものを求めなくなったことに依るところが大きいと思う。

 どうして僕はそういうものを求めなくなったのか。旅に飽きたのかと言われるとちょっと違う気がする。飽きたというよりも、これまでの多くの出会いで既にお腹がいっぱいになったからという感じだ。風景や人との出会いがあれば僕は以前と変わらずその出会いを喜ぶだろう。でも自分からそれを求めようとはしない。そして自分から何かを求めない限り、タイの道はすごく淡々と走ることが出来る。タイの人達は基本的にあまり干渉してこない(外見が同じアジア人だからというのも大きな理由だと思う)。商売が日本と似たような形で洗練されているから、食事、宿泊、買い物など、生活に必要なコミュニケーションは、商売する人とお客さんという枠組みの中で済ませることが出来る。道はよく整備されていて、大きな道路から離れない限りは、走りやすいけど大きな変化に乏しい風景が続く。

道の風景を何枚か。
DSC_0655.jpg

DSC_0470.jpg

DSC_0601.jpg

南国らしい鮮やかな花をちょくちょく見かけた。
DSC_0456.jpg

屋台がたくさんあるから食事には困らない。タイのごはんはすごくおいしくてバリエーション豊かだった。それについて何も書けてないので、東南アジアを走り終えたら東南アジアのごはんについて一つ記事を書きたいと思う。
DSC_0667.jpg

 この淡々とした道のりがつまらなかったのかというと、実はそんなことはない。だいぶ前の記事にも書いたことだけど、僕は自転車をこいでいる時に、思考が流れていく風景にのってジャズのアドリブのように変化していくのが好きだ。そのアドリブは、心を揺さぶる風景や出来事があると、それが強い音になって、そこから中心に広がっていく。逆に外から揺さぶられることが少ないと、自分が既に持っている記憶がその中心になる。タイの道のりは正にそんな感じだった。そしてそれはこの旅をしっかりと終えるために、僕に必要なことだったと思う。

 そんな訳でアユタヤからラオス国境までの約700kmの道のりは、僕の記憶をメインプレイヤーとした、淡々とした道のりとのアドリブ演奏だった。こういう書き方をするとどうもかっこよすぎる感じがするけど、実際はそうでもなくて、走りながら考えていることの半分以上は全く建設的なことじゃなかったりする。例えば日本で毎週読んでいたまんがは今どうなっているんだろうとか、帰ってから行きたいラーメン屋の列挙だとか、それよりもっとくだらなくてかっこ悪くてここに書く気がしないこととか。でもそんなことを考えていたはずなのに、ふと、自分でもはっとするような考えが頭の中に生まれているのを見つけることがある。そんなとき僕は、通り過ぎていった意識にも留まらない何かが、小さな音になってそのきっかけを作っていったのだと思う。そんな風にして生まれた考えを一つだけ書く。

 旅を始めてたぶん三カ月を過ぎたあたりから、旅の最初の頃の風景、空気、出来毎などを少し遠いところにある思い出として思い出すようになった。その頃から僕はこの旅を旅行じゃなく旅と呼ぶことに違和感を感じなくなった。それ以降、時間を重ねるにつれ、思い出として思い出される風景、空気、出来毎は増えていった。

 この道のりでは、そんな風に旅の間のなんやかやを思い出すことが多かった。さっきも書いたように道のりが淡々としていて、意識が内に向きがちなこともあるし、単純に旅の終わりが近いからというのもあると思う。あるとき、ふとフランスのカルカソンヌの風景を思い出した。たぶんカルカソンヌの風景を思い出したのはそれが初めてだと思う。何がきっかけになったのかは分からない。それはきっと通り過ぎていった意識に留まらなかった小さな何かだ。カルカソンヌはどちらかというと思っていたよりも自分がその風景に心を動かされずに、少しがっかりした場所だった。でも思い出されたカルカソンヌの風景は、それを実際に見たときには感じなかった色合いを帯びていて、僕の心をちょっと予想できなかった形で揺り動かした。僕はその思い出がもたらした小さな波を感じながら、自転車をこぎ続け、そのことについて考える。スープみたいだと思う。カルカソンヌで見たもの、感じていたもの、あるいは感じてすらいなかったものが時間の経過と共に鍋の中で混ざり合う。更にはそれ以降に経験したなんやかやが隠し味になってそこに加わり、新しい味わいを持った記憶になる。僕は生きている限りそうやって色々なスープを作ってるんだ、そんなことを思う。そしてなんだか生きていくことの、小さな根拠を発見したような気分になる。
 
 こんな感じに自転車をこぎながら、旅やそれ以前の記憶が主題になってぽつぽつと色々な考えが生まれていく道のりだった。僕は旅の間に思い付いたことを忘れないようにメモするようにしているのだけど、この道のりではそれがとても多かった。さっきのスープの例えでいくと、この道のりを走りながら、旅の間に得た色々な材料をぐつぐつと鍋の中で煮込んでいたのだと思う。

 日本を目指す旅をしようと決めたときから、しっかりと自分がいた場所に帰る旅をしたいと思っていた。インド、ネパールと日本に近付いていくにつれ、その準備が自分の中で出来ているのかちょっと不安だった。でも今、タイを走り終えてそれが出来たような実感がある。

タイのゴール。タイとラオスを隔てるメコン川。
DSC_0691.jpg

227日目の走行距離約61km(ロカ岬からの走行距離10406km)
228日目の走行距離約54km(ロカ岬からの走行距離10460km)
229日目の走行距離約59km(ロカ岬からの走行距離10519km)
230日目の走行距離約94km(ロカ岬からの走行距離10613km)
231日目の走行距離約76km(ロカ岬からの走行距離10689km)
232日目の走行距離約122km(ロカ岬からの走行距離10811km)
233日目の走行距離約82km(ロカ岬からの走行距離10893km)
234日目の走行距離約83km(ロカ岬からの走行距離10975km)
235日目の走行距離約52km(ロカ岬からの走行距離11027km)
236日目の走行距離約96km(ロカ岬からの走行距離11123km)
スポンサーサイト

コメント

コメントかなり久々だなぁ。
いよいよ終盤なんだって伝わってくるな。

ずいぶん濃さそうなスープだけど、意外と味はシンプルそう。
スープのお裾分け楽しみにしてます。

Re: タイトルなし

ありがとう!おすそわけ、楽しみにしてて。
帰ったら同期飲みよろしく!

> コメントかなり久々だなぁ。
> いよいよ終盤なんだって伝わってくるな。
>
> ずいぶん濃さそうなスープだけど、意外と味はシンプルそう。
> スープのお裾分け楽しみにしてます。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://kokosadokosa.blog.fc2.com/tb.php/69-b29e0f4c


より大きな地図で 旅の現象学 を表示

さんふぃ

Author:さんふぃ
ポルトガルロカ岬から、日本に向かって主に自転車で旅行中です。

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。