旅の現象学

2012年から2013年にかけてのユーラシア大陸自転車旅行の記録です。

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 日が傾き始めた頃、二日ぶりに地中海に出たので自転車を止めて写真を撮っていると、若い男性が道の向こう側から手を振ってこちらに駆け寄ってきた。初めスペイン語で話しかけてきたのだけど、僕がうまく返答できないでいるとネイティブの英語で話し始めた。マットというその男性はアメリカ出身で今年の五月まで約二年間、南北アメリカ大陸を自転車で旅行していたらしい。

「向こうに自転車用のいい道があるのにこんな道を走ってるからこれは声かけなきゃと思ってさ。俺、ここのアパートに住んでるからもし良かったら泊まってきなよ。あったかいシャワーもインターネットもあるし、夕飯もたっぷり作るよ」

 まだ充分に走る時間も体力も残っていたから僕は迷ったけど、少し考えた末に彼の好意に甘えることにした。これが旅の初めだったら、僕は色々なことを秤にかけたうえで最終的には進むことを選んでいたと思う。グラナダのサイード達をはじめ、これまでの旅の間に見知らぬ人から親切を受けることが何度かあった。そのおかげで僕は前よりも素直に人の好意を受け入れられるようになった気がする。
 
 月300ユーロで借りているというアパートの一室に入ると、その広さにびっくりした。ベットルームが二つ、大きなダイニングとキッチン、それにバーベキューパーティーが出来そうな大きさの海を望むテラスが付いている。オフシーズンだからこの価格で借りられてるとのことだけど、まだまだ全然泳げる気温で、むしろ一番過ごしやすい時期なくらいなのに月300ユーロは破格だ。マットはベッドルーム一室を丸々借してくれた。ベッドが二つ並んでいてシーツも新しく、本当にホテルみたいだった。

「キッチンはここ。冷蔵庫の中のものは遠慮しないで自由に使ってくれ。牛乳、オレンジジュース、ビール…」
「シャワーはここ。石鹸とシャンプーはここね」
「洗濯ものがあればこのシンクでやってくれ。ごめん、洗濯機はないんだ」

シンクを借りて溜まっていた洗濯物を終えて部屋に戻ると、こんなものが置いてあった。至れり尽くせりなのだけど、押しつけがましさは全く感じない。彼は本当に楽しそうに色々なものをくれるのだ。
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夕飯はマットのガールフレンドのギャビーと一緒に、マットのキャンプ仕込みの野菜たっぷりのパスタをたらふく食べた。
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マットとギャビーと三人で撮った写真。ギャビーも本当にいい人だった。マットは自転車旅行中にペルーで彼女と出会ったらしい。
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 食後も夜遅くまでテラスでビールを飲みながら、マットの自転車旅行の話を聞いていた。とめどなく話が溢れだしてくる。標高4,000mを超えるアンデスの道。70kmも続く下り坂。自然の温泉につかりながら見たという朝を迎えて一斉に首をもたげるフラミンゴの群れ。どれも本当に魅力的な話だったけど、僕が一番印象に残っているのが彼が旅の間に出会った見知らぬ人達から受けた数々の親切の話だ。

「庭にテントはらせてくれって頼むだろ、そうすると最初はちょっと疑っていてしぶしぶ承知するんだ。でもテントのポールとか組み立ててるとさ、ドアからちらちら覗いてくるんだよ。それでコーヒー飲むかって訊いてくる。次は中に入ってメシを食えっていう。で、朝起きると、洗濯して折りたたんだ俺の服を持ってテントの入り口に子供が座ってるんだ」

「メキシコのどっかの町で今日はどこに泊まろうかと道に座って考えてたんだよ。そうしたら一人また一人と人が集まって人だかりが出来たんだ。ビジネスマン、若いカップル、路上で果物を売ってる人、それに娼婦みたいな人もいた。で皆、俺にお金や食べ物を渡そうとするんだ。俺は必死に断ってたんだけど、一人の男なんて自転車のバッグの中に無理やり20ドルを入れて走り去ってったよ」 

「ある家の庭に泊まったとき、おばさんが俺のズボンが破れているのを見つけて、直してやるっていうんだ。で俺はズボンを脱いで彼女に渡した。すごく手際よく縫ってそれを返してくれたんだけど、次は俺の破れたパンツにあごをくいっと向けてくる。何日か洗ってない汚いパンツだぜ。俺はノーと言ったんだけど、彼女は構わずにあごをくいっと向けてくる。俺はあきらめてテントで着替えてその下着を渡したよ。あれはちょっと恥ずかしかったな」

 そういう話をするマットは自分の宝物のことを話す子供のように輝いていた。そんな彼を見ていて僕は、彼が旅の間に様々な人からもらってきたものをこうして今、僕にくれているのだと感じた。そして僕もこうしてマットからもらっているものをいつか誰かにあげたいと思った。それは義務という感覚では全くない。ただそうしたいのだ。本当にプラスのものは誰かにあげずにいられないのだと僕はこの旅で初めて知った気がする。

「好きなだけ泊まってっていいんだぜ。たまに進むのをやめてゆっくりどこかに留まりたくなるのはよく分かるから」翌日、出発の準備をしているとマットがやってきて言った。本当にうれしかったし、もっと色々な話を聞きたいとも思ったけど「出発するよ」と僕は言った。彼はしばらくしたらギャビーと一緒にまた旅に出るらしい。どこかでまた出会うと何故か信じられる。

別れ際にマットと撮った写真。
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 前々回の虹のエントリと被ることだけど、この出会いも僕には奇跡のように感じられる。僕がその時間にその道を通らなかったら、写真を撮るために立ち止まらなかったら、僕は彼らと出会わなかっただろう。でも奇跡というのは誰にでも現れるものなのだとも思う。それぞれの人がそれぞれの道で奇跡に出会う。旅をしているとその奇跡は分かりやすく現れる。でも旅を終えても僕は、自分次第で奇跡に巡り合うことが出来る気がする。旅を終えても旅をするように生きたいと僕は思う。

マットに声をかけられたとき、こんな写真を撮ってました。大した写真じゃないんだな、これが。
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マットと別れた後は彼に教えてもらった自転車道をしばらく走った。海を見下ろす高台の道で、ところどころ古いトンネルや灯台があり、とても気持ちのいい道だった。
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その後の3日間は順調に走り、28日目にバルセロナに到着した。

26日目の一枚。
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27日目の一枚。
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25日目の走行距離約65km(ロカ岬からの走行距離1438km)。
26日目の走行距離約70km(ロカ岬からの走行距離1508km)。
27日目の走行距離約126km(ロカ岬からの走行距離1634km)。
28日目の走行距離約120km(ロカ岬からの走行距離1754km)。
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コメント

No title

それにしてもいい出会いの多い旅だな。羨ましいぞ!

あと、全然焼けないね。日焼け止めクリームを塗って走っているの?

Re: No title

いやぁ、本当に恵まれてるなと思います。日焼け止め、塗ってますよ。塗ってない足は真っ黒です。
> それにしてもいい出会いの多い旅だな。羨ましいぞ!
>
> あと、全然焼けないね。日焼け止めクリームを塗って走っているの?

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さんふぃ

Author:さんふぃ
ポルトガルロカ岬から、日本に向かって主に自転車で旅行中です。

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