旅の現象学

2012年から2013年にかけてのユーラシア大陸自転車旅行の記録です。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 朝、インチョン国際空港に着く。外は雨が降っていてかなり寒い。体感では日本の11月くらいの寒さ。インドからベトナムまでずっと暑い国に滞在していたから体がちょっと驚く。

空港からソウル中心部までは、組み立てた自転車を電車に載せて移動。自転車の組み立てもこれで最後。
DSC_0418.jpg

 ソウルは既に一度来たことがあってそんなに観光しようという気にならなかったから、ちょっと街を歩いた後は、チムジルバンという韓国式のスーパー銭湯みたいなところで久しぶりにお湯に浸かってずっとまったりしていた。

南大門。
DSC_0441.jpg

ソウル一の繁華街ミョンドン。
DSC_0447.jpg

 一日目はそのままチムジルバンに泊まり(チムジルバンや韓国のサウナは大抵24時間営業だから、韓国では以後も大抵このどちらかに泊まっていた)、翌日約450km先のプサンに向けて出発した。

 韓国を走るので一番苦労したのは、地図の問題。なぜだか韓国ではこれまでどこの国でも問題なく使えたGoogleマップのナビ機能が使えず、また地名の表記も大半がハングルのみ。その代わりNaverMapという韓国独自のマップサービスが発達していて、自転車のルート検索や自動車専用道を除いたルート検索なども出来る。ただ残念ながら韓国語しか使えないので、韓国語が分かる知人に協力してもらって使い方を覚え、それを利用していた。

まずは漢江に出る。橋を渡っていると川沿いを走るすごく気持ちよさそうな自転車道が見えた。
DSC_0470_20130524091458.jpg

 この自転車道は何と国を縦断する形でプサンまで続いている。ルートを考える際、この自転車道を走ることも考えたのだけど、その場合プサンまでの距離は約550kmと約100km遠くなり、あらかじめ予約した五日後のフェリーに間に合わせるのが厳しくなるので一般道を走ることにしていた。でもあんまり気持ちよさそうだったので途中まで自転車道を走ることにする。

週末だったので、本格的なバイクウェアを着てロードバイクに乗っている人から、家族連れでゆったり走っている人まで、たくさんの人で賑わっていた。自動車の音から離れた柔らかいざわめきの中を、涼しい空気を肌に感じながら走るのはやっぱりとても気持ちが良かった。
DSC_0481.jpg

段々と都会を離れ、緩やかな山に囲まれた牧歌的な風景に変わっていく。この辺りで自転車道を見失って、一般道に戻った。
DSC_0485.jpg

 次の日からはずっと一般道を走った。山を、町をいくつも通り過ぎていく。色々な国を走ってきた後にこの国を走ると、日本とこの国の近さを強く感じる。行きかう人達の表情、テレビのバラエティーのテロップや効果音、お店や看板が消費者に伝えようとするメッセージ、目にする色々なものが日本のそれらが向いている方向ととても近い方向を向いている。最近色々あるけどやっぱりお隣さんだなぁとつくづく思う。

道中の写真を何枚か。
DSC_0556.jpg

DSC_0530_20130524110609.jpg

DSC_0494.jpg

DSC_0514.jpg

 ソウルを出発して四日目の朝、プサンまでの距離は残り180km。翌日の18時頃までにはプサンでフェリーの入船手続きをしなければいけないのに、山が多かったり、途中寄り道をしたりでずいぶんと距離が残ってしまった。プサンまで残り120kmくらいの地点で日が暮れ出す。でも翌日のことを考えるとあと50kmくらいは進んでおきたかったので走り続けていると、ロードバイクに乗ったおじさんが話しかけてきた。柔らかい物腰のすごく感じのいいおじさんだった。英語がそこそこ通じるので色々話をしながら一緒に走る。おじさんはロードバイクで僕は荷物をたくさん積んだマウンテンバイクだからだいぶスピードを合わせてもらっていたと思う。ジュヨンさんというそのおじさんは、僕が通ってきた15km手前のテグという大きな街で美術の先生をやっていて、毎日家から30kmくらいの道のりを自転車で通っているらしい。
 
 一時間以上一緒に走って、交差点のところでジュヨンさんは止まり、今夜は家に泊まっていかないか、と僕に尋ねた。すごくありがたかったけど翌日が問題だった。ジュヨンさんにプサンまでの距離を訊くと残り100km。しかも山がいくつかあるらしい。泊まらせてもらうとすると翌日は前回のベトナム以上にぎりぎりになる。でも迷った末に泊まらせてもらうことにした。僕がこの旅から受け取った最良のものの一つはこういう出会いによるもので、ユーラシア大陸最後の夜のこの出会いは、大陸からの餞別のように思えたりもした。それで僕は素直にそれを受け取ろうと思った。

 おじさんの家は静かな山の中の町のはずれにあった。奥さんが作るキムチチゲやジュヨンさんの手作りのビールをごちそうになり、本格的なレコードプレイヤーでクラシックや韓国の古い歌謡曲を一緒に聴いた。かなりの音楽一家で家にはピアノにオルガン、ギターにトランペットがあった。奥さんは少し前までプロのピアニストだったらしい。ジュヨンさんはあまり得意ではない英語で、聴いている音楽の良さを話してくれた。柔らかいけど感情のこもった声だった。その話を聞いていると全く言葉が分からない韓国語の歌でも少し情景が見えてくるようだった。旅の話もした。ジュヨンさんはいつか沖縄を自転車で走るのが夢らしい。

翌日の早朝、ジュヨン夫妻に見送られて出発。
DSC_0544.jpg

ユーラシア大陸も残り約100km。ジュヨンさんと出会ったおかげで、最期にもう一度、この旅全体のしっかりとした手応えを感じながら走ることが出来た。
DSC_0548.jpg

夕方プサンに着く。案の定観光は全く出来なかったけどまあいいや。
DSC_0566.jpg

無事にフェリーに乗り込む。写真はプサンの夜景。ユーラシア先生、ありがとうございました!
CSC_0583.jpg

247日目の走行距離約87km(ロカ岬からの走行距離11871km)
248日目の走行距離約108km(ロカ岬からの走行距離11979km)
249日目の走行距離約93km(ロカ岬からの走行距離12072km)
250日目の走行距離約79km(ロカ岬からの走行距離12151km)
251日目の走行距離約100km(ロカ岬からの走行距離12251km)
スポンサーサイト
 フエ、観光名所にはあまり魅力を感じなかったけど、おいしそうなご当地フードがたくさんあり、安く快適に泊まれる宿もあるので、時間があればゆっくりしていきたかったのだけど、着いた翌朝、ちょっと歩いて午前中には出発した。翌日の夜にダナンからソウルに飛ぶので、自転車の梱包とかを考えるとこの日のうちに約100km先のダナンに着くのが必須に思えたからだ。

DSC_0308.jpg

出発。小さな丘はあるけど割と走りやすい道が続く。
DSC_0324.jpg

道中の写真何枚か。
DSC_0340_20130518024026.jpg

DSC_0344_20130518024028.jpg

DSC_0345.jpg

 さてダナンの手前には、ハイヴァン峠というベトナムの気候を南北に分ける峠がある。標高こそ500m弱と大したことないものの、ベトナム戦争でも重要な軍事拠点だった交通の難所として知られている峠らしい。しかし地図を見るとその峠を突っ切る長いトンネルがある。それで前日にそのトンネルを自転車で通れないかネットで調べたところ、数年前に自転車が通れるようになったという情報が出てきた。峠を登るのも面白そうなのだけど、その場合フエでなにもしないまま早い時間に出発しないといけなくなるから、トンネルを通れるというのは朗報だった。それでそのトンネルを通る前提で、フエをそんなに早い時間には出発しなかったのだけど、これが罠だった。

 日が落ちて辺りが大分暗くなった頃、そのトンネルの手前に着いた。しかし警備の人がここから先は自転車では進めないから引き返せと言う。確かに近くには自転車禁止の標識が立っていた。説得しようとしたのだけど全然無理そう。なぜだろうと思い、近くの野良wifiを拾って調べなおしてようやく状況が分かった。自転車が通れるようになったというのは、運航しているトラックに自転車を載せて通過出来るようになったという意味だったのだ。そのトラックの運行はその日はもう終わってたし、そもそも運航していたとしても、自転車乗りとしては乗りたくない。

 さてどうしよう、完全に夜になった今から峠を登るか、それともここで夜を越すか。普段だったら即決で後者を選ぶのだけど、翌日のフライトを考えるとこの日の内にダナンに着けないのは厳しい。迷っていると天からお告げがあった。何と後輪がパンクしていたのだ。それで完全にあきらめて近くの宿で一泊することにした。

 翌朝、早起きして峠に向かう。パンクはあらかじめ直しておいた。時間もないし、もしかしたらユーラシア大陸最後の峠らしい峠かもしれないということで、登りだす前に自転車を一度も止まらずに登りきろうと決心する。

景気づけにレッドブル。原産地がタイだからなのか、東南アジアではやたら安い。一本50円位で買えたりする。
DSC_0364.jpg

峠の入り口近くでは道路工事中のいい感じのおじさん達に呼び止められ水をもらった。
DSC_0374.jpg

止まらずに登ろうと決心したのだけど…登り始めの景色がすごくよかったので写真を撮るために止まった。これはノーカウント。
DSC_0378.jpg

DSC_0384_20130518024104.jpg

 以降はずっと止まらずにペダルを回し続けた。最近かなりマイペースに走っていたのでがんばって走るのはだいぶ久しぶりだった。きついけど体の底の方からふだんは眠っているエネルギーを引き出して使うのはやっぱり気持ちがいい。これはネパールの山道とかでも感じていたことなのだけど、自分が自分が思っているよりもがんばれるのをこの旅を通して学んだようで、先に先に続く坂道を想像しても、まあいけるだろうと以前よりも気楽に構えられるようになっている。これもこの旅を通して得た大きな収穫の一つだと思う。

一時間半位で最高点に到着。ちなみに頂上にはおみやげ屋さんが並んでいて、おばちゃん達が必死におみやげや飲み物を売りつけてきた。こういう商売っ気の強さは東南アジアの中ではベトナムが随一だと思う。
DSC_0391.jpg

峠を下ってしばらく走り、午後ダナンに着く。ベトナムの街は本当にバイクが多い。
DSC_0411_20130518024112.jpg

 まずは自転車を飛行機で運ぶ手はずを整えなければならない。空港で何とか出来ないかと甘いことを考え、直接空港に行くも自転車は建物内には入れられないと、警備の人ににべもなく追い返され、いつも通り自転車を入れる箱を手に入れるために自転車屋を探して走り回る。二件目に見つけた自転車屋の人達が英語は全然通じないけどきさくな人達で、何とか箱が必要なことを伝えて譲ってもらえることになった。その場で箱に詰めてしまいたかったので、ここで梱包していいかと尋ねたのだけど、通じないのでおずおずとそのまま作業を始めると、皆が手伝ってくれ梱包はすぐに終わった。料金を訊くと最初に箱の値段として聞いていた1ドルのみ。色々手伝ってもらってかなり助かったので、僕がもう少し払おうとしても受け取ってくれない。やっぱり旅行者相手の商人と普通の人達はだいぶ違う。

自転車屋の人達。
DSC_0414.jpg

 そのまま自転車屋で呼んでもらったタクシーで空港に向かい、着いたのは大体18時。23時20分のフライトまでは大分余裕があった。結局旅の間、何とか出来るのかなと不安になったことで何とか出来なかったことはほとんどなかった。どうやらそういうものらしい。

244日目の走行距離約76km(ロカ岬からの走行距離11732km)
245日目の走行距離約38km(ロカ岬からの走行距離11770km)
朝、ベトナム国境を越える。これがこの旅最後の陸路国境だと思うといつもより少し感慨深い。
DSC_0145.jpg

 さてベトナム人はがめついというのは旅人の中では有名な話なのだけど、僕もすぐに洗礼を受けた。国境を越えると待ち構えていたように両替商のおばちゃん達が寄ってきた。僕は基本的に新しい通貨はATMのキャッシングで手に入れるから、普段は両替商のお世話にはならないのだけど、この時は持ち越していたタイのバーツを両替したかったので、試しにレートを訊いてみた。しかし返ってきたレートは相場の三分の二のぼったくりレート。話にならないからその場を後にして、銀行を探しに行った。途中さっきのおばちゃん達とは別の両替商が声をかけてきたので、レートを訊くもやっぱりさっきと同じぼったくりレート。僕が銀行かATMに行くと言うと、彼女はこの先には両方ないと言う。街の規模からしてそんなはずはないと思って、彼女から逃げ数百メートル走ると、やっぱり両方あった。

 しかし見つけた銀行ではタイバーツの両替が出来なかったので、再度国境付近に戻り、警備員にこの辺りに両替出来る銀行がないかと尋ねていると、さっきとは別の両替商のおばちゃん集団がやってきた。警備員もこの人達が両替出来るよ、と話を切り上げてしまったので、仕方なくそのおばちゃん達と交渉することにした。最初に提示されたレートはやっぱりぼったくりレートだったのだけど、現在の正しいレートを示してこのレートに近くないと両替しないと交渉を続けて、何とか納得出来るレートになった。しかしここからが更にひどかった。おばちゃんが渡そうとする紙幣をよく見るとゼロが一つ足りない。僕がそのことを英語やジェスチャーで伝えてもそのおばちゃんは何が問題なのか全く分からないとでもいうように、困ったような笑顔を浮かべている。いくら伝えても、ずっとそんな感じだったから、僕がデノミかなんかでゼロが一つ少ないのは正しいのかもしれないと思い始めた頃、隣の別のおばちゃんが正しいゼロの数の紙幣を僕に見せた。やっぱりと思い、僕はゼロの少ない紙幣を渡そうとしたおばちゃんに「うそつき」と言って、隣のおばちゃんに両替をしてもらったのだけど、その間もゼロの少ない紙幣を渡そうとしたおばちゃんは隣で悪びれることなく笑っていた。ちなみに友達のお母さんとして登場しても違和感がないような普通のおばちゃんだ。

 実害はなかったとはいえ、さすがに十分の一の金額に両替されそうになったのは腹が立ったけど、まあいい話の種にはなったと思うことにして、気を取り直して走り出す。

国境からしばらくは熱帯らしい緑の深い道が続く。むわっとする植物の匂いを感じながら走った。
DSC_0176_20130514000749.jpg

DSC_0177.jpg

DSC_0169.jpg

ラオス程ではないけど、ベトナムでもよく子供達が笑顔で手を振ってくれた。こういう笑顔に何度か出会う頃、ベトナムの人に対する最初のマイナスの印象は消えていた。
DSC_0184re.jpg

 この日の内に、あわよくば約160km先のフエという街に着きたい、と思っていたのだけど、アップダウンが多く思ったように進まず、100km位で走行を終え、フエには翌日向かうことにした。

翌日、フエに向かって走る。フエまでの残りの道のりは平坦な道が続く。
DSC_0202.jpg

途中、豪雨にあって市場に避難。
DSC_0207.jpg

午後、フエに到着する。フエは世界遺産に登録されている建物群がある古都で、中部ベトナム観光の目玉的な場所。着いてまずこの街一番の観光スポット、王宮に向かう。
DSC_0223.jpg

 ところがここが自分にとってはっとするほど興味をひかれない場所で、歩きながらどうしてこんなに興味をひかれないのか考えるのが一番楽しかったりする場所だった。もともと歴史的建造物にはあまり食指が動かない方だけど、今回は本当に何一つすごいと思ったりすることがなく、ひたすら義務的に建物を見ていた。

王宮を出て宿に向かう頃には日が暮れかけていて、フエ旧市街と新市街を隔てるフォン川の眺めが素晴らしかった。その景色はすっと自分に染み込んでくる。まあ何と言うか自分の好みを再認識した。
DSC_0287.jpg

DSC_0293.jpg

242日目の走行距離約100km(ロカ岬からの走行距離11594km)
243日目の走行距離約64km(ロカ岬からの走行距離11658km)
ラオスに渡るために第三友好橋に向かったのだけど、イミグレーションで自転車では通れないと言われてしまったので、後からやってきたピックアップの付いた自動車に載せてもらって橋を渡った。
DSC_0764.jpg

 国境から少し走るとサワンナゲートというラオスで二番目に大きな街に着く。二番目に大きな街と言っても人口約12万人の小さな街で、対岸のタイの小規模な地方都市と比べても、かなりの田舎だった。特に観光スポットがある訳でもない街なのだけど、田舎ののほほんとした雰囲気のせいか、お金の両替をしたり、カフェでゆっくりしている内に時間がどんどん過ぎていって走り出す機を逸し、最終的に切れかけたカメラのバッテリーの充電を言い訳にして、そのまま近くのホテルに泊まってしまった。

 そんなことをしている割には、実はここから先、日本まではかなりタイトなスケジュールだったりする。中国を飛行機で飛ばすことに決めたのとセットで、好きなバンドの来日コンサートがある5月16日に間に合うよう福岡に渡ることを決めていて、そのためには東南アジアの残り約500kmと韓国の約500kmを残り12日で走り切らなければならないからだ。純粋に走るだけならそんなに問題ないのだけど、飛行機やフェリーでの移動やその準備、途中の観光を考えると結構厳しい。そんな状況なのにずるずるっと何もない街に滞在してしまう自分に少し呆れる。

 翌日、貯めた夏休みの宿題を一気に終わらせようとするような気合でラオスを本格的に走り出した。

しばらくは舗装の状態もいい。タイから引き続き、そこかしこに南国っぽい鮮やかな花が咲いていて道を彩っている。
DSC_0003.jpg

50km程進むとこんな看板が出てきた。この道は日本の援助で整備された道らしい。道理で走りやすい訳だと思っていると、この少し先から未舗装の区間が増え始めた。
DSC_0024re.jpg

急ぎたいのに急げないもどかしさ。
DSC_0031re.jpg

バナナ、パイナップル、マンゴー、ドリアン…。トロピカルフルーツを売っている露店を道沿いに沢山見た。
DSC_0778.jpg

4月の東南アジアは酷暑期。タイ南部程ではないけど、ラオスも日本の真夏並みには暑い。だから冷たい飲み物をしょっちゅう飲むのだけど、この写真のトウキビジュースはたぶんこの旅で一番美味しかった飲み物。トウキビジュース、インドで一度飲んだときにそこまで美味しく感じなかったから、それ以降飲んでなかったのだけど、ここら辺のは甘さが段違いで、インドで飲んだのとは別物だった。素朴なのにパンチのある甘さは本当にくせになる。以降、何度もお世話になった。
DSC_0019re.jpg

こんな風に圧搾機でトウキビからジュースを搾り取る。
DSC_0014re.jpg

 ラオス初日は、気合を入れて走り出した割には、未舗装の区間や小刻みなアップダウンに煩わされてあまり距離が稼げず、約100km位でギブアップし通りかかったゲストハウスに泊まった。

 翌日、今後のことを考えると何としても約150km先のベトナム国境に辿りつきたかったので、早起きし、昨日以上に気合を入れて走り出す。

朝食を食べた屋台。
DSC_0044_20130507004021.jpg

色々な種類の鳥や豚の串焼きが並んでいる。
DSC_0057.jpg

道は平坦だったり、アップダウンが続いたり。ところどころ舗装が切れる区間もあったけど、全体的には昨日よりも走りやすく、順調に距離を稼いでいく。
DSC_0084_20130507004040.jpg

DSC_0081.jpg

しかしずっと順調にはいかないようで、雲行きが怪しくなってくる。この後案の定、豪雨になって近くの食堂に避難。東南アジアの雨期は日本の梅雨のように一日雨が降り続くことはあまりなく、散発的に激しく降る。30分位で雨はあがり、心地よい涼しさになった空気の中を走り出す。
DSC_0101_20130507004054.jpg

途中の、あぁ東南アジアだな、と感じた風景を何枚か。
DSC_0089_20130507004036.jpg

DSC_0119re.jpg

DSC_0127.jpg

道中で会った人達の写真を何枚か。
DSC_0007re.jpg

DSC_0087re.jpg

DSC_0132re.jpg

 ラオスの人達は本当に素晴らしく、ネパールと並んで道中もっともたくさんの笑顔をもらった国だった。子供達はどんなに遠くに僕を見つけても、サワディーやハローと叫んで手を振ってくれる。すっぽんぽんのまま駆けてきて手を振ってくる子もいる。僕がサワディーと返すと、子供達と遠ざかる僕との間で、延々と続くやまびこのようにサワディーが繰り返されたりする。

 大人達もよく笑顔で手を振ってくれたり、声をかけてくれたりする。その笑顔が素晴らしい。タイの人達もよく笑顔を向けてくれたけど、その笑顔はどこか薄い壁の向こうにあるような印象があった。それはそれで全然素敵な笑顔ではあるのだけど。一方、ラオスの人達の屈託のない笑顔はそういう壁を感じさせずストレートに僕に届く。二つ前の記事に書いたように、最近僕は積極的に人に関わろうとしていなかったのだけど、そんな笑顔に心を開かれるようにして、この国では自然と自分から通り過ぎる人に笑顔を向けて現地の言葉で挨拶をしていた。

 今回の旅行で走った経済的に貧しい国のトップ2がネパールとここラオスなのだけど、同時に道で会う人達が幸せそうに見えた国トップ2もこの二国。アルバニア、マケドニア、インド、ネパール、ラオス。今まで通ってきたあまりお金を持っていない国ではどこも人と人との間の壁が薄く、皆のびのびと生きているように見えた。もちろん一見しただけじゃ分かりようもない苦労や悲惨さもあると思うけど、お金を持っている国ではなかなか見ることの出来ない形の幸せが当たり前のもののように溢れているのもまた事実だった。

 夜まで走り続け、何とかベトナム国境に到着した。ほとんど明かりが見えない真っ暗な夜道(ラオスの夜は本当に暗い)でも、小屋の窓や庭やいろいろなところから子供達が僕を見つけて、サワディーやらハローやら叫んでくれるので、心細さを感じなかった。ラオス、こんなにいい国だったらもっと時間をかけて周りたかったなとちょっと後ろ髪を引かれる思いでラオスの走行を終えた。

239日目の走行距離約16km(ロカ岬からの走行距離11251km)
240日目の走行距離約98km(ロカ岬からの走行距離11349km)
241日目の走行距離約145km(ロカ岬からの走行距離11494km)
 ラオス国境があるナコンパノムに着いた翌朝、目を覚ますと激しい雨が降っていて雷も鳴っていた。午前中いっぱい待ってみたのだけど結局収まらなかったので、仕方なくナコンパノムにもう一泊することにした。どうやら東南アジアは雨期に差し掛かっているらしい。

 宿で今後のルートについて改めて考えてみた。三月に今後のルートについて書いた時点では、東南アジアから中国に抜け、中国を電車で走って韓国行きのフェリーが出ている港を目指すつもりだったのだけど、実はちょっと前に中国は通らずに飛行機で韓国に飛ぶことに決めていた。理由は色々あるのだけど、中国を陸路で旅することにこだわらなくても納得の出来る形で旅を終わらせられると思ったことが大きい。それで特に何も考えず、中国に抜けるルート上の最後の国際空港がある都市、ベトナムのハノイを目指して走っていたのだけど、地図や航空便の状況を改めて確認していたら、ベトナム中部のダナンを目指す選択肢が浮かんできた。距離的にはどちらもほとんど変わらないのだけど、数日間の天気予報やルートの面白さを考えた末、ダナンに行くことにした。

 翌日、天気も問題なかったので出発。ナコンパノムの国境ではなく、そこからメコン川を南に100kmぐらい下ったムクダハンからラオスに入ることにしたから、もう一日だけタイを走る。

この区間は幹線道路じゃなく割とローカルな道を通った。生活感があってなかなか楽しかった。
DSC_0751.jpg

途中で見かけたタイ式寺院。
DSC_0746.jpg

夜、ラオスに渡る第三友好橋に到着。翌日ラオスに渡ることにして、近くの宿に泊まった。
DSC_0753.jpg

238日目の走行距離約112km(ロカ岬からの走行距離11235km)
 アユタヤに着いた日の夕方と翌日の午前中は、街の中に点在している遺跡を見て回った。圧倒されるような感動はなかったけど、街も遺跡もそんなに人が多くなく落ち着いた雰囲気で、遺跡にふさわしいゆったりとした時間が流れていて、居心地が良かった。

遺跡の写真を何枚か。
DSC_0370.jpg

DSC_0377.jpg

DSC_0417.jpg

DSC_0413.jpg

DSC_0420.jpg

 さて、アユタヤから先については書くのがちょっと難しい。これを書いている今、僕はタイを走り終えて、ラオスの国境があるナコンパノムという街にいる。10日かけて大体700kmくらい走ったのだけど、客観的にみるとかなり淡々とした道のりだった。強く心を揺さぶる景色にも出会わなかったし、人ともそんなに関わらなかった。それはタイという国のせいではなく、単純に僕がそういうものを求めなくなったことに依るところが大きいと思う。

 どうして僕はそういうものを求めなくなったのか。旅に飽きたのかと言われるとちょっと違う気がする。飽きたというよりも、これまでの多くの出会いで既にお腹がいっぱいになったからという感じだ。風景や人との出会いがあれば僕は以前と変わらずその出会いを喜ぶだろう。でも自分からそれを求めようとはしない。そして自分から何かを求めない限り、タイの道はすごく淡々と走ることが出来る。タイの人達は基本的にあまり干渉してこない(外見が同じアジア人だからというのも大きな理由だと思う)。商売が日本と似たような形で洗練されているから、食事、宿泊、買い物など、生活に必要なコミュニケーションは、商売する人とお客さんという枠組みの中で済ませることが出来る。道はよく整備されていて、大きな道路から離れない限りは、走りやすいけど大きな変化に乏しい風景が続く。

道の風景を何枚か。
DSC_0655.jpg

DSC_0470.jpg

DSC_0601.jpg

南国らしい鮮やかな花をちょくちょく見かけた。
DSC_0456.jpg

屋台がたくさんあるから食事には困らない。タイのごはんはすごくおいしくてバリエーション豊かだった。それについて何も書けてないので、東南アジアを走り終えたら東南アジアのごはんについて一つ記事を書きたいと思う。
DSC_0667.jpg

 この淡々とした道のりがつまらなかったのかというと、実はそんなことはない。だいぶ前の記事にも書いたことだけど、僕は自転車をこいでいる時に、思考が流れていく風景にのってジャズのアドリブのように変化していくのが好きだ。そのアドリブは、心を揺さぶる風景や出来事があると、それが強い音になって、そこから中心に広がっていく。逆に外から揺さぶられることが少ないと、自分が既に持っている記憶がその中心になる。タイの道のりは正にそんな感じだった。そしてそれはこの旅をしっかりと終えるために、僕に必要なことだったと思う。

 そんな訳でアユタヤからラオス国境までの約700kmの道のりは、僕の記憶をメインプレイヤーとした、淡々とした道のりとのアドリブ演奏だった。こういう書き方をするとどうもかっこよすぎる感じがするけど、実際はそうでもなくて、走りながら考えていることの半分以上は全く建設的なことじゃなかったりする。例えば日本で毎週読んでいたまんがは今どうなっているんだろうとか、帰ってから行きたいラーメン屋の列挙だとか、それよりもっとくだらなくてかっこ悪くてここに書く気がしないこととか。でもそんなことを考えていたはずなのに、ふと、自分でもはっとするような考えが頭の中に生まれているのを見つけることがある。そんなとき僕は、通り過ぎていった意識にも留まらない何かが、小さな音になってそのきっかけを作っていったのだと思う。そんな風にして生まれた考えを一つだけ書く。

 旅を始めてたぶん三カ月を過ぎたあたりから、旅の最初の頃の風景、空気、出来毎などを少し遠いところにある思い出として思い出すようになった。その頃から僕はこの旅を旅行じゃなく旅と呼ぶことに違和感を感じなくなった。それ以降、時間を重ねるにつれ、思い出として思い出される風景、空気、出来毎は増えていった。

 この道のりでは、そんな風に旅の間のなんやかやを思い出すことが多かった。さっきも書いたように道のりが淡々としていて、意識が内に向きがちなこともあるし、単純に旅の終わりが近いからというのもあると思う。あるとき、ふとフランスのカルカソンヌの風景を思い出した。たぶんカルカソンヌの風景を思い出したのはそれが初めてだと思う。何がきっかけになったのかは分からない。それはきっと通り過ぎていった意識に留まらなかった小さな何かだ。カルカソンヌはどちらかというと思っていたよりも自分がその風景に心を動かされずに、少しがっかりした場所だった。でも思い出されたカルカソンヌの風景は、それを実際に見たときには感じなかった色合いを帯びていて、僕の心をちょっと予想できなかった形で揺り動かした。僕はその思い出がもたらした小さな波を感じながら、自転車をこぎ続け、そのことについて考える。スープみたいだと思う。カルカソンヌで見たもの、感じていたもの、あるいは感じてすらいなかったものが時間の経過と共に鍋の中で混ざり合う。更にはそれ以降に経験したなんやかやが隠し味になってそこに加わり、新しい味わいを持った記憶になる。僕は生きている限りそうやって色々なスープを作ってるんだ、そんなことを思う。そしてなんだか生きていくことの、小さな根拠を発見したような気分になる。
 
 こんな感じに自転車をこぎながら、旅やそれ以前の記憶が主題になってぽつぽつと色々な考えが生まれていく道のりだった。僕は旅の間に思い付いたことを忘れないようにメモするようにしているのだけど、この道のりではそれがとても多かった。さっきのスープの例えでいくと、この道のりを走りながら、旅の間に得た色々な材料をぐつぐつと鍋の中で煮込んでいたのだと思う。

 日本を目指す旅をしようと決めたときから、しっかりと自分がいた場所に帰る旅をしたいと思っていた。インド、ネパールと日本に近付いていくにつれ、その準備が自分の中で出来ているのかちょっと不安だった。でも今、タイを走り終えてそれが出来たような実感がある。

タイのゴール。タイとラオスを隔てるメコン川。
DSC_0691.jpg

227日目の走行距離約61km(ロカ岬からの走行距離10406km)
228日目の走行距離約54km(ロカ岬からの走行距離10460km)
229日目の走行距離約59km(ロカ岬からの走行距離10519km)
230日目の走行距離約94km(ロカ岬からの走行距離10613km)
231日目の走行距離約76km(ロカ岬からの走行距離10689km)
232日目の走行距離約122km(ロカ岬からの走行距離10811km)
233日目の走行距離約82km(ロカ岬からの走行距離10893km)
234日目の走行距離約83km(ロカ岬からの走行距離10975km)
235日目の走行距離約52km(ロカ岬からの走行距離11027km)
236日目の走行距離約96km(ロカ岬からの走行距離11123km)

より大きな地図で 旅の現象学 を表示

さんふぃ

Author:さんふぃ
ポルトガルロカ岬から、日本に向かって主に自転車で旅行中です。

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。