旅の現象学

2012年から2013年にかけてのユーラシア大陸自転車旅行の記録です。

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 バンコクは想像していた以上に大都会だった。西洋の都市のように明確な中心がなく、広い範囲に様々な特色を持つエリアが広がっているところとか東京とかなり似ている。

 多くの日本人が住んでいるだけあって、バンコクには日本にあるものが大抵ある。伊勢丹や東急百貨店があり、その造りもエスカレーターを中心にした日本でなじみのもので、例のごとく最上階にはレストラン街がある。当然のようにそこには日本食のレストランもたくさん並んでいる。日本の本を専門に扱う本屋も各所にあって、発売されたばかりの村上春樹の新刊が平積みされていたりする。セブンイレブンやファミリーマートが日本より多いんじゃないかというくらいいたるところにあり、品揃えや陳列方法もほとんど日本と変らない感じで、つい少年ジャンプを探してしまいそうになるくらい。肉まんやおでんなんかも置いてある。

 たぶん旅の最初らへんに来たのであれば、普通に受け止めていたのだろうけど、日本と異なる文化圏の国々を通ってきた後だから、一気に日本に近づきすぎて半分くらい帰ってきたような気すらした。

大きなショッピングセンターやホテルなどが並ぶサヤームスクウェア周辺の景色。
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屋台や露店がずらーっと並ぶ光景はバンコク独特。
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チャオプラヤー川やそこから延びる運河が街の中に広がっているため、水上の交通が発達している。
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安宿や旅行者向けの施設が並ぶバックパッカーのメッカ、カオサン通り。僕もここに滞在していたのだけど、正直あんまり好きになれなかった。ポカラ、カトマンドゥ、そしてここと連続してこういうエリアに滞在したけど、どうも西洋人のバックパッカー達が作り出す空気が肌に合わないらしい。活気があるエリアだけど、その活気もどこか作られたもののような感じがして、どうにも馴染めなかった。
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有名な寺院もいくつか周ってみた。こちらは仏教国タイの護国寺、ワットプラケオ。
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すぐ近くのワットポーにある全長49メートルの寝釈迦仏。
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チャオプラヤー川の対岸にあるワットアルン。
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 バンコクについて四日目の夕方、カトマンドゥから数えて一週間ぶりに自転車に乗り、80km先のアユタヤに向かって走り出した。走らない日を重ねるにつれ、一日がするっと手元から逃げていくような焦燥感が強くなってきていた。自分がこの旅に求めているものは、どこかで何かを見ることじゃなくて移動することなんだなと再認識する。自分の体を自分の力で新しい場所に運んでいくことには、たとえそこに実際的な意味がなくても、何か具体的な手応えのようなものがある。焦燥感は日常でも度々感じていた。もうすぐ旅は終わるけど、日常でも自転車での移動に代わる何かを見つけられればと思う。

 バンコクの都市圏を抜けるまでの道沿いの雰囲気は何となく規模を大きくした八王子のような印象があった。都会だけど、個人的な商店や飲食店が沢山残っていて、景色に賑わいを与えている感じとか。建物も道路も街路樹もどこがどうとは具体的には言えないのだけど、すごく日本ぽくて海外を走っているという感じがあまりしなかった。
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道路沿いにはコンビニがたくさんある。
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コンビニに並んでいた日本だとクレームがきそうなネーミングのお茶。ちなみに後日飲んでみたのだけど、甘くて炭酸入りでお茶っぽさの全くないやくざなお茶だった。
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 その日は道沿いの安いホテルに泊まって、翌日、アユタヤまで走った。アユタヤまでの道のりには、日本の小型のイオンみたいなショッピングモールが何軒かあって、僕は見つける度に中に入った。四月のタイの暑さを凌ぐためというのもあるけど、何よりもそこが自分の家にいるみたいに落ち着く場所だったから。他の国でも度々ショッピングモールには入ったけど、そんな感覚はなかった。入っている店とか、歩いている人の感じとか、建物の造りとか、匂いとか色々なものが自分が馴染んでいたものと違っていたからだと思う。でもタイのショッピングモールは僕が日本で馴染んでいたショッピングモールだった。僕は、そこで目にする光景や、ぼんやりと漂っている匂いに自分の形のない記憶が染みついていることに驚いた。そして忘れていたとても懐かしいものと再会したような感慨を覚えた。

ショッピングモール。ミスドがある。
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 カトマンドゥやバンコクで何度か日本で食べるのとそん色のない日本食を食べた。久しぶりに食べる日本食は美味しかったけど、思っていたほどの感激はなかった。例えばそれは一カ月ぶりにラーメンを食べたり、寿司を食べたりするのとあまり変わらない。そこには再会の驚き、喜びみたいなものがなかった。でもそれについて考えたことや思い出したことなんて一度もなかったショッピングモールにはそれがあった。予期せぬものの中に故郷を発見した感じで嬉しかった。うさぎおいしかのショッピングモール。

 そんな訳でタイに入って距離的にも心的にもぐっと日本が近くなり、旅の終わりが近づいてきているのをこれまでに増して感じている。

225日目の走行距離約36km(ロカ岬からの走行距離10345km)
226日目の走行距離約61km(ロカ岬からの走行距離10406km)
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 カトマンドゥでは近郊のナグルコットの丘からエベレストとか世界の屋根と呼ばれるヒマラヤの高い山々を眺めるのを楽しみにしていたのだけど、ここでも空模様に恵まれなかったので行かずに諦めた。結局、ヒマラヤの高い山々を見ないままネパール滞在は終わってしまった。

 でもカトマンドゥは今まで歩いてきた中で有数の散策が楽しい街だった。見所が多いし、街並みも独特。ちょっと傾いていたりするところどころに木が使われた味わいのある建物、観光スポットでも何でもない建物に凝らされているユニークな意匠、迷路みたいな小道の先に出くわす仏教やヒンドゥ教にまつわる大小さまざまなモニュメント。歩いていると面白いものがぽんぽん視界に飛び込んでくる。そんな訳で今回は写真メインでカトマンドゥの街を紹介します。

僕が泊まったのは世界でも有数の安宿街、タミル地区。安宿、旅行会社、おみやげ屋、各国のレストランなど、ツーリスト向けの施設が狭い区画にひしめいている。ポカラの同じような区画は街並み自体がツーリストのために作られているようであまり魅力を感じなかったのだけど、ここは元からある街並みにツーリスト向けの施設が溶け込んでいる感じで楽しかった。
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そこから南に進むと地元の人で賑わう商店や市場の区画に着く。首都だけあってとても活気がある。
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街で見かけた面白いものとか。
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更に南に進むとカトマンドゥ観光のハイライト的なチベット仏教の寺院が立ち並ぶダルバール広場。
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鳩がいっぱい。
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立ち止まって細部を見るのもとても面白い。見過ごしやすいところに色々面白いものがあったりするので、発見する楽しさに溢れた街だと思う。
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西側のカトマンドゥの街を見下ろす丘には、スワナンブヤードという仏塔がある。丘ではたくさんの猿が戯れているからモンキーテンプルとも呼ばれている。丘の上には急な階段を登っていく。
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階段の途中の小さな広場にあった仏像。
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塔に描かれている目は全てを見通すとされる仏陀の目。そういえばネパールに入ってから、道路脇にドライバーを監視するようにこの目の看板が立っているのをちょくちょく見た。
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塔の周りには108のマニ車という仏具が並んでいる。左回りに回転させると、回転させた数だけお経を唱えたことになるらしい。信心深い訳でもなんでもないのに僕も律儀に回してしまった。
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こちらはカトマンドゥの中心からは少し離れたところにある、世界遺産にも登録されているボダナートというネパール最大の仏塔。
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チベット仏教の経文が記された旗が無数に吊るされている。
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 さて、ここから先、ミャンマーもしくはチベットを越えるために飛行機に乗らなければならない。少し前に今後のルートについての記事で書いたように、バンコクに飛ぶか成都に飛ぶかで迷っていたのだけど、結局バンコクに飛ぶことにした。カトマンドゥ四日目、半分冷やかしで行った旅行代理店に結構条件の良いチケットがあったので、勢いでその日のフライトのチケットを買った。以下は主に今後自転車でカトマンドゥからバンコクへ飛ぶ人のための参考情報。

 僕がとったチケットはタイ航空のビジネスクラスで約480ドル。ビジネスにした理由は、荷物の許容量が10kg多く、更に例え許容量をオーバーしてもビジネスなら数kg位見逃してくれるということで、自転車を積むことによる重量超過の代金を考えるとそっちの方が安かったから。実際、預け入れ荷物の総重量は約34kgで4kgの超過だったけど、何も言われずに預けることが出来た。人生初のビジネスクラス。機内食もすごく美味しいし、サービスも良いしで大満足のフライトだった。

自転車の梱包はタメル地区の南東にある自転車屋さんに梱包材込み500ルピーで丸投げした。空港まではタクシーで350ルピー。
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 夜、バンコクのスワンナブーム空港に着き、カトマンドゥの空港で会った日本人と一緒にタクシーで安宿がたくさんあるカオサン通りの近くまで行った。カオサン通り周辺は水かけ祭りの真っ最中で、水浸しの道路の上をバズーカみたいな水鉄砲を持ったびしょびしょの人達が意気揚々と獲物を探して歩いていた。
 ポカラからは、アンナプルナやマチャプチャレなどのヒマラヤの高い山が望めると聞いていたので、着いた翌朝、それを楽しみに外に出たのだけど、空はひどく霞みがかっていて、遠くのヒマラヤが見えるどころか、数百メートル先の小さな山でさえかなりぼやけていた。短いトレッキングに出ることも考えていたのだけど、この感じだと少し近付いたくらいではヒマラヤは見れなさそうだったのであきらめた。

ポカラのフェワ湖。こんな感じに近くの山も霞んでいた。
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 翌日も翌々日も同じ感じだったので、三日目にはあきらめて出発することにした。今の時期は本来、良く見える時期らしく、もう少しねばれば見ることも出来たと思うのだけど、あまりにもツーリスティックなポカラに魅力を感じることが出来ず、これ以上滞在するのは気が引けた。

 ポカラからカトマンドゥまでの道のりは約200km。地図を見るとネパール国境からポカラまでの道ほどにはカーブ続きではなかったし、平地から高地に登る訳ではないからそんなに大変ではないだろう、二日で着けるだろうと思っていたのだけど、甘かった。小刻みな登りと下りが延々と続き、最後には特大の登りが待っているタフな道のりで、結局三日かかり、その三日間の平均時速が11km、最後の日に限っては9kmという、かつてないスローペースの道程だった。

かなりの区間を川と並行して走る。川沿いには延々と水田が続く。
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川にはところどころ、こんな長い吊橋がかかっていたりする。
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この区間でも数えきれないほどの子供たちが手を振ってくれた。ほとんどの子が「ハロー」でも「ナマステ」でもなくて「バイバイ」と言うのが何か不思議。
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こんなに遠くにいても、まるで流れ星を見つけてお願いをするかのように「バイバイ、バイバイ」と一生懸命に手を振ってくる。
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 一日目、二日目に約70kmずつ走り、三日目にはカトマンドゥまでの距離は残すところ約60kmだった。出発も早かったし、お昼過ぎには着いて観光できるかな、と思っていたのだけど、甘かった。カトマンドゥまで約20kmほどのところで始まった登り坂はこれまでの道程で間違いなく最強の登り坂で、四時間くらいほぼずっと自転車を押して歩くはめになった。かなり登ったと思ったところで、一、二キロ先の山の相当高いところにある山腹の道が、つづら折りに何重にもなって高所へ高所へ続いているのを見たときには笑いそうになった。旅の初めの頃だったら軽く絶望してそうな気がするけど、ゆっくり行けばいいや、と意外なほど緩く考えている自分がいて、そんなところに旅を始めてからの自分の変化を感じたりもした。

中腹から。
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もう少し登ったところ。
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最高点近くからの景色。
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 途中、のろのろ運転のトラックやバスに掴まって、登っちゃおうかなという欲求と闘いながら、何とか自力で登り、夕暮れ時、あとはカトマンドゥ盆地へと下っていくだけの最高点に辿りついた。そこで飲んだ瓶入りジュースが最高においしかった。

216日目の走行距離約72km(ロカ岬からの走行距離10171km)
217日目の走行距離約73km(ロカ岬からの走行距離10244km)
218日目の走行距離約65km(ロカ岬からの走行距離10309km)
 ネパール国境付近のスノウリで一泊し、翌朝、国境を越え、ネパールに入った。取りあえずの目的地はアンナプルナなどヒマラヤの高い山々を望むことの出来るポカラという街。

多くの人が行きかう国境。イミグレーションは道の脇の小さな小屋なので気付かずに通過しそうになった。
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国境を越えて30kmくらい平地を走るとヒマラヤ山脈への入り口が見えてくる。
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地図を見て覚悟を決めていたけど、山肌を縫うように延々とカーブが続く。
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段々畑の景観が素晴らしい。
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ちょくちょく町や集落もある。
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 ネパールは途上国の例にもれず子供の数がやたら多い。彼らは使えなくなった自転車のタイヤや、手作りのクリケットのバッド、おはじきなど、少ないものと自分の頭と体を使って、思いっきり遊ぶ。僕を見つけると、他のどこの国の子供たちよりも警戒することなく、無邪気に「バーイ」と言って、手を振ってくる。ネパールは経済的にかなり貧しい国で子供の就労などが問題になっていたりもするのだけど、僕の目に映る彼らの大部分はとても幸せそうに見えた。

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 二日でポカラに着く予定だったのだけど、二日目に食べものにあたったのか久しぶりに本格的に体調をくずしたため、その日はあまり走らずに休んだ。翌日、まあ何とか走れそうだったので出発したのだけど、登り坂で力が入らなかったため、思っていた以上に進むのに時間がかかり、ポカラまであと15km程のところで完全に日が落ちてしまった。途中の町で駆け寄ってきた小さな少年が「夜は走っちゃだめだよ」と言っていたのが予言のように思い出される。

 あんまりいい予感がしないながらも、泊まる場所もないので走り出すと、一台の車が止まって、乗っているおじさんが話しかけてきた。窓からは彼の家族なのか、子供も含めた何人かが乗っていた。彼は、この先はジャングルエリアで夜は危ない、と僕に伝えた。僕はジャングルという響きに若干びびりながらも、進むしかないので進むと言うと、彼はじゃあ俺が後ろからライトで照らすよ、とそれが全然大したことではないかのように言った。僕が、僕はとてもゆっくりだからそれは悪い、気にせずに行ってくれ、と伝えても、「オーケー、オーケー」と言ってきかない。僕が走り出すと、彼らの車はその後ろからライトを照らしながらゆっくりとついてきた。

 真っ暗で鬱蒼とした曲がりくねった道だったから、とても助かったのだけど、山賊の話や、家族ぐるみの詐欺の話をどこかで耳にしていたりもしたので、少し警戒もしていた。登り坂に差し掛かったとき、車が横にやってきて、おじさんが長い登りだからここは自転車を乗せてけ、と言った。僕は彼らを100パーセント信じていた訳ではないし、自分の力で登りたいという気持ちもあったから、ここからは自分で行くから心配しなくて大丈夫、と伝え、お礼を言った。彼はオーケーと言って車を出した。

 やっぱり普通にいい人達だったんだなぁと思いながら走り出すと、ちょっと先の湧水が出ているところで彼らの車は止まっていた。僕が自転車を止めると、彼らはじゃあ行こうかと言った感じで、のろのろと坂を登る僕の後ろからまたライトを照らしてついてきてくれた。僕は相変わらず、彼らに感謝しながらも、同時にもし彼らが悪い人達だった場合の色々なケースを頭の片隅でシミュレートしていた。こういう場合にはこういう言葉で逃げようなど。これは旅の間に身に付けた処世術のようなもので、僕は相手に自分が疑っていることを見せずに、あくまで頭の片隅だけでそういうことを考える。最終的に相手がいい人だった場合でも、そのことで罪悪感を感じたりもしない。それが自分の身を守るために僕が決めている方針のようなものだからだ。
 
 坂を登り終わり、更にそこから進むと民家の光がぽつぽつと見え始めた。ここまで来れば車のライトがなくてもそんなに苦労せずに進めそうだったので、僕は自転車を止めた。ここからは大丈夫だから一人で行ける、と伝えるつもりだった。彼らがついてくるままに任せるのではなく、自分でここまででいいと伝えて別れるのが一番安全に思えたからだ。車が横に来るとおじさんは「ここがポカラだよ。さあ行こう」と言った。その声なのか、言い方なのかが、なぜだか僕に、もう彼らを疑わずに信じてしまおうと決めさせた。それで頭の片隅でやっていたシミュレートも止め、彼らの親切に身を委ねることにした。ポカラに続く下り坂と相まって、その決心には高いところからバンジージャンプするような気持ち良さがあった。もちろん紐がついていることを僕は信じている。あるいは信じようとしている。

 それからしばらく走り、街灯のある道に着いて今度こそ何の問題もなく一人で走れそうだったから、再び自転車を止めた。僕がお礼を言うと「オーケー、オーケー」とおじさんは言い、そのままさらりと去っていった。お互い名前も何も訊かないままだった。名前も知らない僕のために、坂道を自分で登りたいという僕のわがままにも面倒くさい顔一つせず、一時間以上も後ろからライトを照らしてくれた彼らへの大きな感謝と、彼らを信じることを選び賭けに勝ったような爽快感を感じながら、僕はポカラの街を宿を探して走った。

211日目の走行距離約63km(ロカ岬からの走行距離9978km)
212日目の走行距離約30km(ロカ岬からの走行距離10008km)
213日目の走行距離約91km(ロカ岬からの走行距離10099km)

ようやく10,000km突破。
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 予定では、バラナシの後はそのまま東に進み、バングラデッシュの首都ダッカを目指すつもりだったのだけど、ビザの期限やバングラデッシュの政情などの理由から、北上してネパールの首都カトマンズを目指すことにした。

バラナシまではデリーとコルカタを結ぶ幹線道路をずっと走ってきたのだけど、このルートではそんなに大きくない道を通る。
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そして二日目、更に道は細く、ローカルな感じになっていき…。
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 最後には消えた。久しぶりにグーグルマップがやってくれた。ルート案内で出てきた道が完全にない。誰に地図を見せてもこんな道はないと言う。かなり大きめの縮尺でも表示される道なのに…。それじゃあどう行けばいいのかと聞くと、教えられた道は約50kmも遠回りで、しかも地図に載っていないどローカルな道だった。

 グーグルマップを恨みながらその道を走りだしたのだけど、走ってみるとそれが実に素晴らしい道だった。スペインを走っていたときもとんでもない山道を案内されたことがあったのだけど、その道も苦労はあれど素晴らしい景観の道だったのを思い出す。 グーグルマップ、ニクイやつめ。

延々と続く、麦畑の中を道は延び、
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ときどきこんなタイムスリップしてきたような集落が現われる。
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集落と集落の間には、人や家畜がのんびりとした足取りで行きかい、車やバイクは滅多に通らない。
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 この道の雰囲気は、これまで僕がインドで感じてきたものと大きく違った。他の町で溢れていたゴミはほとんどなく(そもそも捨てるものがあまりないのだと思う)、車や多すぎる人が作り出す喧騒とは無縁で、人の声、動物の鳴き声、金物を叩いたり、麦を叩いたりする生活の音が、それぞれ独立して空気の中に漂っていて耳を掠めていく。

 何より不幸せそうな人を一人も見なかった(他のインドの道で不幸せそうな人をいっぱい見たという訳ではないけど)。たぶんここに住んでいる人はそんなに多くの大切なものを持っていないけど、その代わりに数少ない大切なものをしっかり大切にしている。そんな風に感じた。全てがあるべき場所にあるような光景が流れていき、走ってるだけで何故だか涙腺がゆるむ、そんな道だった。

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 日が暮れかけた頃、後輪がパンクした。ただでさえ時間がなくてあせってきていたのに、追い打ちをかける事態に途方にくれながらも、道の脇に自転車を横倒しにして修理を始めた。道を通る人は皆、止まって、話しかけてきたり、興味深そうに見てくるから、すぐにちょっとした人だかりが出来た。僕は苦笑いをしながら「パンクチャー」とか言いながら、作業を続ける。

 焦りと疲れから思うように修理が進まず苦労していると、バイクに乗ったおじさんが自転車屋に連れて行ってあげるから、車輪を持って乗ってけ、と言う。その間、自転車はその場のおじさん達が見てくれるという。自分で修理をすることも出来たし、自転車をその場に置きっぱなしにするのは不安だったけど、その時の僕は誰かに頼ってしまいたい気分だったので、少し迷った末にお願いした。

 自転車屋に着き、修理をお願いしている間、おじさんがジュースとサモサをご馳走してくれた。おじさんはあまりしゃべらない。皆が訊いてくるような、どこから来たかとか、何人なのかとかそういうことも訊いてこない。ただ僕が質問をすると短く答えてくれる。修理が終わり、僕が自転車屋さんにお金を払おうとすると自転車屋さんは微笑みを浮かべたまま首を横に振った。僕は繰り返し、お礼を言って、再度、おじさんのバイクの後ろに乗って、自転車を置いてある場所まで戻った。

パンクを修理してくれた自転車屋さん。
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 横倒しにした自転車の前ではさっきのおじさん達がそのままぼーっと立っていた。僕がお礼を言うと、しわだらけの顔に微笑を浮かべ、ゆっくりと頷く。彼らの中に流れている時間はとてもゆったりしたもののように思える。写真を撮っていいかと訊くと、快く承諾してくれたので、何枚か撮っていると、バイクに乗せてくれたおじさんが諭すように「暗くなるから、急ぎなさい」と言った。僕は再度、お礼を言って走り出した。

左がバイクに乗せてくれたおじさん。他は自転車の前で待っててくれたおじさん達。
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 その後、大きな道路に抜け、近くの街のホテルに止まった。この日走った道は、今、書くために思い出してみても、柔らかい麦畑の色合いと相まって、何となく夢だったかのような印象がある。地図にも載ってないし。

 次の日からは再び、ネパール国境に向かう比較的大きな道を走った。前日の道ほどではないにせよ、デリーからバラナシまでの道と比べると、人がゆったりとしている印象で、特に子供達が僕を見かける度、「バーイ」と言って手を振ってくれることがすごく多くなったのが印象的だった。

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 バラナシを出発して五日目の夜にネパール国境のあるスノウリという町に到着した。インドは結局約三週間走った。広大で深いインドを少しつまみぐいしただけだと思うけど、何か心の今まで揺さぶられたことのないところを揺さぶってくるような国だった。

206日目の走行距離約99km(ロカ岬からの走行距離9658km)
207日目の走行距離約87km(ロカ岬からの走行距離9745km)
208日目の走行距離約60km(ロカ岬からの走行距離9805km)
210日目の走行距離約100km(ロカ岬からの走行距離9905km)
 バラナシはガンジス河畔のヒンドゥ教の一大聖地。全ての罪を洗い清めるというガンガーで沐浴するために、亡くなった親族を火葬場で燃やしガンガーに流すために、インド中から多くの人が集まるこの街は、これまでの道のりで僕が感じてきたインドのインドらしさが一段階濃く凝縮されているような街だった。

 着いた翌日は、春の訪れを祝って色水をかけあったり色のついた粉を塗り合ったりするホーリーというヒンドゥ教の大きなお祭。水かけはぴちゃぴちゃ掛け合ったりする可愛いものではなく、屋上からバケツで狙ったりと、本当に容赦がないので、外を歩いている人は警官や巡礼者みたいな人を除いて、皆、びしょびしょの色まみれになる。

勇気を出して外に出るとゾンビ映画のような光景。
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こんなになりました。まあいい話のたねにはなった。
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 バラナシは多くの旅行者が集まる街だけど、観光名所というものはあまりない。僕も滞在中は、ほとんどガート(階段のようになっている河岸)とその周りの路地が入り組んだ区画を散歩していただけだった。しかし、例えばアーグラ―はタージマハルとアーグラ―城を一度見たら、それで満足して去ることが出来るのだけど、バラナシではいくらガンガーを眺めていても何かをまだ見ていない、そういう感覚が残る。それで後ろ髪を引かれる思いで滞在が一日延び、更に自転車のパンクでもう一日延び、結局この街に四日間滞在した。

以下、主にガンガーの写真。

朝、沐浴する人達。
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洗濯をしたり、体を洗ったり。聖なる河だけど、同時に生活の舞台でもある。
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ボートに乗って岸を眺める。
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対岸は打って変わって静かで何もない空間が広がっている。
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毎夜、一番大きなガートではプジャというヒンドゥ教の儀式をやっていて多くの人が集まる。
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インドの他の街と同じように、ここでも犬や猿や牛やヤギが好き勝手に生きている。犬の寝かた一つとってもインドは今まで通ってきた他の国とは一味違う。彼らは道の真ん中でも縮こまることなく、ばたんと横倒しで死んだように眠る。動物たちの何事も受け入れているかのような泰然自若とした様子は、インド人のそれとかなり重なり合う。動物が人に影響されてこうなったのか、あるいはインドの何かが人間にも動物にも同じような影響を与えてこうなっているのか、それは分からないけど、彼ら動物たちがインドの独特の空気感を作るのに一役買っているのは間違いない。
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 ガンガーは聖なる河なのに河岸にはゴミが堆積し、生活用水は垂れ流し。すぐ上の方の河岸では二十四時間休むことなく火葬場で遺体が燃やされ、灰が河に流されている。まだ十分に生きていないとされる子供の遺体などは燃やされることなく、そのまま重りを付け河に沈められている。ヒンドゥ教徒はそうすることで輪廻から解脱することが出来ると信じているからだ。そんな河に当たり前のように全身を浸し、更に体を洗ったり、洗濯をしたりするインド人を見ていると、今までの自分のものの見方や感じ方が少し相対化される感じがした。

 泊まったゲストハウスで、イスタンブールの日本人宿ツリーオブライフの黄金時代を一緒に過ごした二人と再会したのだけど、その内の一人が言った「インド人は僕達と見ている世界が違うんじゃないか」という言葉が印象に残っている。僕は最初、子供と大人で見ている世界が違うとか、そういうレベルのことを言っているのかと思ったのだけど、もっと深いレベル、極端に言えば網膜レベルで違うんじゃないかという話だった。インド人の聖なるものとの向き合い方や死生観に、想像の及ばないものを感じていた僕は、あるいはそうなのかもしれないと思った。その考えはこれまでの旅を通して、色々な文化に生きる人達の中に、違いよりもむしろ共通することを多く見出してきた僕には新鮮だった。

 上の方に書いた、ガンガーをいくら眺めても、そこにある何かを見れていない感覚もそこにつながっているのかもしれない。ただ、ガンガーを眺めていると、その正体が分からなくても、大きな何かが目の前にあるという不思議な安心感がある。多くの旅人がこの街に引きつけられる気持ちが分かった気がした。

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 アーグラ―を出発すると、次の目的地はガンジス河畔のヒンドゥー教の一大聖地バラナシ。約600km離れているのだけど、5日後、3月27日にあるインド最大のお祭り、ホーリーの前日までに到着したかったので、一日平均120kmのかなりのハイペースで走り抜けた。

インドの道では自転車乗りやバイク乗りが横に並んできて話しかけてくることがめちゃくちゃ多い。時にはレースを挑んでくることもある。僕は丁重にお断りするけど。
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この人はバイクなのに20km以上並走して、その間インドや日本の話を色々した。
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インドの道では他のどの国よりも、短いインターバルで町や集落が現われる。地方のそんなに大きくない町でも中心部はこの人だかり。しかも一人ひとりがよそ行きの衣に自分を包むことなく、むき出しの状態で生きているから、町に充満しているエネルギーがすごい。
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町で自転車を止めようものなら、大人も子供もわんさか寄ってくる。ちなみにインドというと物乞いの多さをイメージする人も多いと思うけど、観光地を離れるとお金目当てでこちらに近づいてくる人はほとんどいない。皆、純粋な好奇心で近づいてくる。
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毎日、最高気温は30台後半。そこかしこにある日本の駄菓子屋みたいな売店がオアシス。清涼飲料水が美味しすぎた。
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店番やお客さんとのコミュニケーションからも力をもらう。
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食事は大抵、町の屋台かロードサイドの飲食店。これは屋台の食べ物。値段は10ルピー(約17円)。
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ロードサイドの飲食店ではダールという豆のスープとチャパティーという薄いパンの組み合わせが定番。これで大体50ルピー(約90円)くらい。
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トラックの運転手が仮眠をとったりするロードサイドの飲食店は、野戦病院のような趣がある。
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安全面からインドでは野宿をしたくなかったので、毎日ホテルを探していたのだけど、インドは観光地以外の町ではホテルがとても少ない。しかもホテルと名前がついているのに実際はただの飲食店というパターンも多くてかなり苦労した。ホテルがないところでは警察に泊めてもらった。
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ホーリーを控えて、色めく夜の街並み。
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 賑やかなインドの道には宝物みたいな瞬間がたくさん転がっている。例えば、水をくみ上げるポンプの前にしゃがんで眉間にしわを寄せながら洗濯をしていたお母さんがふと顔を上げて、表情を柔らかくし手を振ってくれた時、地面に何かを書いていた女の子が僕を見つけ、野性的な反射神経で駆け寄ってきて、手を振り「バーイ」と連呼してきた時、そういう予期せぬ瞬間、枕元にどこかの誰かが置いてくれたサプライズプレゼントを見つけたような、嬉しく優しい気持ちになる。

 ホーリー前夜、いたるところで爆竹が鳴り響き、道に煙が充満する中、バラナシに無事到着した。

197日目の走行距離約118km(ロカ岬からの走行距離9077km)
198日目の走行距離約79km(ロカ岬からの走行距離9156km)
199日目の走行距離約145km(ロカ岬からの走行距離9301km)
200日目の走行距離約130km(ロカ岬からの走行距離9431km)
201日目の走行距離約128km(ロカ岬からの走行距離9559km)
 インドに着いて四日目、取りあえず約200km先のタージマハルがあるアーグラ―を目指して走り出す。

路肩が固められていないから、ところどころ砂埃がすごい。
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途中、デリー郊外にあるクトゥブ・ミーナールというイスラム教の遺跡に寄った。無骨な赤い岩と細かいレリーフの組み合わせが新鮮で、見応えのある遺跡だった。
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今まで走ってきた国では、町と町の間では車が走っているだけだったのだけど、インドの道では人影が途切れない。道が町と町を繋ぐだけの線ではなく、生活の舞台になっているのを感じた。
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 インドを自転車で走るのは、結構不安だった。最近話題になっている中国よりも更にひどい世界一の大気汚染、カオスな交通状況、狂犬病を持っているかもしれない野良犬…いくつかの不安要素があったのだけど、実際に走ってみると意外に平気そうだった。空気は確かに悪いけど、郊外に出てしまえば耐えられなくない。交通状況はルールなんて何もないような状況だけど、インドのドライバーは、めちゃくちゃなインド人自転車乗りや道の真ん中で平気で寝そべる牛を避けることに慣れているからある意味安全。野良犬はいたるところにいるけど、大抵人や自転車に慣れているから他の国と比べても追ってくることが少ない。

 翌日、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神信仰の聖地、マトゥラーという街に着いた。ちょっと見て通過する予定だったのだけど、面白そうな街だったので一泊した。

インドの町は小さな町でも中心地に行けば、祭りをやっているような人口密度と喧騒に出くわすのだけど、この街は更に人がひしめきあっている。
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ヤムナー川を遊覧するボートに自転車ごと乗せてもらった。
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街の喧騒を離れ、遠くから沐浴をする人達や、建物の屋上伝いを駆け回る猿の集団を眺めていると、自分がこれまで身を置いたことのない文化圏の中に身を置いているのだということを、改めてしみじみと感じた
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夜も喧騒は続く。
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翌日、出発前に散歩。
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デリーを初めて歩いた時は、牛を見る度に「おぉ、牛だ」と感心していたものだけど、牛は本当に笑っちゃうくらいどこにでもいて、のびのびと好き勝手なことをやっている。神聖だからと丁重に扱われているかというとそういう訳でもなく、牛とインド人の関係は威厳を失った父親とその家族のような印象がある。道端のマーケットの野菜を勝手に食べようとし、棒で叩かれのそのそと退散する姿にシンパシーを感じる日本のお父さんは多いと思う。
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 アーグラ―に到着すると既に夕方だったので、次の日にタージマハルやアーグラ―城を観光した。

定番すぎるこのアングル。
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 タージマハル、綺麗だったし、決して期待していたよりしょぼかった訳でもないのだけど、実物を自分の目で見たという満足感以外の感情はあまり湧いてこなかった。思うに初めて写真で見てわくわくした時点でこの建物との出会いはすでに終わっていたのだと思う。こういう感想になるだろうことは来る前から予想していたのだけど、もしかしたらタージマハルならその予想を越えてくれるかも、という気持ちもあったので、やっぱり少し残念だった。

きれいなのは間違いないけど。
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ムガール帝国の城塞、アーグラ―城。
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タージマハルを建てたシャー・ジャハーンは晩年、息子にこの城砦に幽閉され、妻の墓であるタージマハルを毎日眺めながら死んでいったらしい。
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193日目の走行距離約67km(ロカ岬からの走行距離8810km)
194日目の走行距離約90km(ロカ岬からの走行距離8900km)
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さんふぃ

Author:さんふぃ
ポルトガルロカ岬から、日本に向かって主に自転車で旅行中です。

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