旅の現象学

2012年から2013年にかけてのユーラシア大陸自転車旅行の記録です。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 ここに来るまでにいろいろな人からイラン人の親切さについて話を聞いていた。だから彼らからごはんをごちそうになっても、家に泊めてもらっても、別に驚かないつもりだったし、もしかしたら当たり前のことのようにそれを受け止めてしまうんじゃないかと少し怖かったりもしたのだけど、実際に彼らの親切に触れると、その表情や振る舞いに心を打たれっぱなしだ。
 彼らの表情や振る舞いは、あなたが好きだ、あなたと一緒にいて楽しいということを率直に相手に伝える。だから僕はその日初めて会った人なのにも関わらず、彼らに本当は迷惑をかけているんじゃないか、無理させているんじゃないかなどと考えずに安心して彼らと付き合うことが出来る。いつからか人付き合いの中で、こうしたら相手の目にどう映るだろう、これは僕らしくないんじゃないかとか考えることが呼吸をするように当たり前のことになった僕には、そんな彼らの率直な人との付き合い方が懐かしく眩しい。
 そんな訳でいつも以上に多くの人との出会いに恵まれているイランの旅、最初の数日間で出会った人達を道中の写真を交えながら紹介します。

こちらはアリさん。タブリーズに着いた翌朝、バザール付近を自転車を押しながら散策しているときに、話しかけられた。朝食をごちそうになり、街の見どころをいろいろ案内してくれた。
DSC_8073.jpg

世界遺産にも登録されている長い歴史を持つタブリーズのバザール。アリさんはここのバザールの貴金属店で働いている。
DSC_8131.jpg

パソコンや携帯電話のお店が並ぶデパート。
DSC_8065.jpg

 ソニーやLGなどの商品がたくさん並んでる日本の秋葉原みたいなこの光景を見たとき、ドライブ中にラジオからヨーロッパで散々耳にした最近のヒットソングが流れてきて、アリさんがそれに合わせて体をゆすりだしたとき、自分でも驚いたのだけど嬉しかった。この人達、本当はこんなに近かったんだっていう。数年前にヨーロッパを旅行した時は、どこの国も思っていたよりも日本と変わらないことにがっかりしていたものだけど。
 日本にいるとイランについての情報は核問題のニュースとか、イスラム文化のイメージとか、いかに彼らは僕らとは違う人達なのかという情報しか入ってこないけど、たぶん多くの人が思っているよりも彼らは僕達と一緒です。

色々連れて行ってもらった後、この日は家に泊まらせてもらうことになった。イラン人の家はどの家も広いリビングを中心にした作りで、お客さんに対して開かれている印象がある。
DSC_8099.jpg

奥さんが作る美味しいイランの家庭料理をたくさんごちそうになった。写真はチェロウケバブというサフランライスと一緒に食べるケバブ。
DSC_8093.jpg

アリさんの家族に見送られて出発。
DSC_8103.jpg

タブリーズ近くの道。イランの道では、他の国よりも応援のクラクションが断然多い。車を停めて食べ物(特にフルーツ)をくれる人も多いから、買い物の回数がぐんと減った。
DSC_8152.jpg

タブリーズを出発した翌日、車を停めて話しかけてくれた皆さん。オレンジやキュウリやお菓子をくれた後、これから皆で遊びに行く田舎の家に僕を招待したいと言うので、お邪魔させてもらうことにした。
DSC_8158.jpg

キャンプファイヤーを囲んで、踊ったり、談笑したり…。
DSC_8211.jpg

イラン風のビンゴゲームをしたりして時間を過ごした。
DSC_8237.jpg

その日はそのまま泊めてもらい、翌日はピクニックに同行させてもらったりした。
DSC_8243.jpg

昼食。イランではテーブルではなく、床にシートを敷いて食べるのが一般的。ちなみに写真の白い平たい食べ物はラヴァーシュというイランで最もよく食べられているパンで、イランの人は何でもこのパンに巻いて食べる。
DSC_8296.jpg

 イラン人の率直な人との付き合い方は、友達やパートナーに対しても同じで子供みたいな柔らかい表情で笑ってふざけ合う彼らは本当に幸せそうだった。お酒が禁止されていたり、女性はチャードルを被らなければいけなかったり、イスラムの国イランは不自由で窮屈な印象があったけど、実際に彼らに接してみると、むしろ明文化されていない無数のルールに縛られている僕よりも彼らの方が自由に思えた。

 以上、イランに入ってからの四日間でした。このブログ、人の話の比率がちょっと多すぎる気がしていて、もう少し違うことも書いていきたいと思っていたのだけど、どうしてもイランは人の話が中心になりそうです。旅に出てもう少しで半年。風景に対する感動は始めの頃と比べたら薄れてきているけど、人との出会いはいつも想像を軽々と越えてくる。

158日目の走行距離約63km(ロカ岬からの走行距離7361km)
159日目の走行距離約59km(ロカ岬からの走行距離7420km)
スポンサーサイト
トビリシに着いた翌日、次に向かうアゼルバイジャンのビザを申請しに領事館に行ったのだけど、取得に思っていたよりも日数がかかることが分かった。それを待っているとまたしても取得済みのインドビザの期限が間に合わなくなりそうだったので、イランのタブリーズまではアルメニア経由でバスで移動することにした(バスで走る道を自転車で走ることも考えたのだけど、一番高いところでは2,200mに達するばりばりの山道だったので、路面凍結などの可能性を考え止めた)。

ヨーロッパの街のように洗練された街並みと、生活の匂いを感じる雑多な街並みが混在したトビリシ。
DSC_7832.jpg

DSC_7827.jpg

DSC_7892.jpg

DSC_7867.jpg

トビリシからアルメニアの首都エレバンまではマルシュートカと呼ばれる乗合バスで向かった。マルシュートカは小さな古いバンなので自転車を載せられるか不安だったのだけど、運賃30ラリ(約1,700円)に10ラリ(約600円)をプラスすることで何とか積み込むことが出来た。約7時間の道のり、外を見てるとやはり高所では路面が凍結していたので、バスで来て良かったと思った。

エレバンの中心、共和国広場。夜のライトアップが美しかった。
DSC_7941.jpg

DSC_7924.jpg

すぐにイランに向かう予定だったのだけど、リダの家という民宿が1000ドラム(約230円)と破格の値段だったので、一日余分に滞在して近くの世界遺産、エチミアジン大聖堂を観光した。
DSC_8001.jpg

DSC_7970.jpg

エチミアジン大聖堂のミュージアムには、キリストの死を確認するのに使われたとされているロンギヌスの槍と、ノアの箱舟の破片(とされるもの)が展示されている。ちなみにノアの方舟が漂着したとされるアララト山はエレバンから割と近くにあり、晴れた日は高台から富士山に似たきれいな対象型の山の姿を望めるらしいのだけど、僕がいた間はずっと曇り空だったので見ることが出来なかった。

ロンギヌスの槍。
DSC_7994.jpg

ノアの箱舟の破片(とされるもの)。
DSC_7993.jpg

泊まっていたリダの家。破格だけどぼろくて寒い。シャワーは近くのシャワー屋さん。
DSC_8044.jpg

エレバンからタブリーズへは国際バスで向かった。値段はチケット25,000ドラム(約6,000円。当日購入じゃなければ22,000ドラムらしい)プラス自転車を載せるのに20ドル。テヘラン行きのバスで途中で降ろしてもらうのだけど、テヘランまで行っても値段は変わらない。タブリーズまでの所要時間は約15時間で、到着は夜11時くらいだった。
クタイシを出ると次の目的地はグルジア首都のトビリシ。北方にカフカス山脈を望みながら走っていく。
DSC_7629.jpg

暗くなった後、泊まる場所を探してゼスタポニという街を走っていたら、この写真の右のゴジータというおじちゃん(めちゃくちゃ強そうな名前だ)に呼び止められて、地元の濃いおじちゃん数人と雑貨屋兼軽食屋のような店でお酒を飲むことになった。
DSC_7668.jpg

おじちゃん達は唾が飛ぶのも気にせずに大きな声でしゃべり、豪快に笑う。英語は少ししか通じないけど、繰り返される乾杯と大きな笑い声でその場の空気は滞ることなく流れていく。実に素朴で陽気な人たちだった。グラスが空になると間髪いれずに次のお酒が注がれる。断る仕草をしても「まあまあ飲みなさい」とお構いなし。その度に僕達は乾杯をし、立ったままお互いの腕を交差させてウォッカを一気飲み(グルジア人はよくこれをやるらしい)したりした。

泊まる場所を探していること伝えると、レゾという巨体の丸いおじちゃんが「マイハウス、マイハウス」と言うので、ありがたく好意に甘えることにした。外に出ると、タトというおじちゃんが自転車に積んであるギターを見つけて、演奏会が始まった。さすが男性合唱で有名なグルジア人で、歌もギターもとてもうまい。グルジアの歌の他にも、ビートルズのミシェルやガールをたぶんグルジア語で歌ったりもしていた。他の二人のおじちゃんはギターに合わせて踊っていた。巨体をゆすりながら器用にステップを刻み、帽子をくるくる回したりするレゾの踊りはとてもチャーミングだった。
DSC_7676.jpg

レゾとタトと一緒にレゾの家に行くと、奥さんが用意してくれたグルジア料理を囲んでまた酒盛りが始まった。本当に彼らは底なしで、悪酔いすることなくひたすら陽気にワインやウォッカを飲み続けていく。
DSC_7723.jpg

タトの曲芸ギターに併せてレゾの息子も踊り出す。
DSC_7724.jpg

奥さんが用意してくれたグルジア料理。ロールキャベツのような煮込み料理がとても美味しかった。
DSC_7701.jpg

酒盛りは一時を過ぎてもまだまだ続きそうだったので、僕は先に失礼して、離れで眠った。

翌朝、起きてリビングに行くと、朝食を囲んで早速、酒盛りが開始。最初は寝起きだからか、少し気だるい感じに飲んでいるのだけど、すぐにエンジンがかかっていく。
DSC_7742.jpg

朝から躍り出すレゾと呆れる奥さん。ちなみにこの日は月曜日。レゾは絵描きらしいから良いとしても、タトは大丈夫なのだろうか。
DSC_7763.jpg

この日は早めに出発したかったのだけど、ずるずると引きとめられて結局午後になった(自転車に乗るのでさすがにお酒はあまり飲まなかったけど)。スリコの家で体験出来なかったグルジア流の酒盛り、こんな形で体験出来るとは思わなかった。飲酒量も陽気さも底なしなおじちゃん達だった。
DSC_7769.jpg

出発後は、山間部を通過してアガラという小さな町まで走った。山間部の道のりには、現代社会から取り残されたような素朴な小さな村や自家製の陶器や木製の道具を売っている小屋が点在していて、旧ソビエトという土地柄、ドストエフスキーの小説で描写されているような、19世紀のロシアの村の風景が思い起こされた。
DSC_7786.jpg

翌日、比較的平坦な道を延々と走り続け、トビリシに到着した。この日の道のりではカフカス山脈が一番、大きく見えた。
DSC_7795.jpg

147日目の走行距離約27km(ロカ岬からの走行距離7074km)
148日目の走行距離約83km(ロカ岬からの走行距離7157km)
149日目の走行距離約133km(ロカ岬からの走行距離7290km)
雨の中、残り30km程のトルコの道を走って国境に着く。グッバイ、ターキー。
DSC_7372.jpg

グルジアに入ると広かった路肩が狭くなり、アスファルトの質も落ちたので一気に走りにくくなった。トルコの道は本当に自転車に優しかったと改めて実感。
DSC_7376.jpg

国境から20km程走って、黒海ではリゾート地として有名なバトゥミという街に着く。カジノやホテルが並ぶ街の中心はヨーロッパ的に洗練されているらしいのだけど、僕が通った道沿いは、生活の匂いが溢れ出ている雑然とした街並みが続いていた。
DSC_7382.jpg

この日はバトゥミから更に20km程走った道沿いのホテルに泊まり、翌日、グルジア第二の都市クタイシを目指して出発。

朝食。ヒンカリというグルジア風の小龍包。悪くないのだけど日本で食べ慣れているものと比べると、皮が厚く、水分が少ないので、ちょっと違和感がある。
DSC_7386.jpg

グルジアの道は放し飼いにされている家畜がめちゃくちゃ多い。ヤギ、羊、豚、鶏、牛、ロバ…。たぶん人間よりも多く彼らとすれ違った。
DSC_7426.jpg

ヤギと雨宿り。
DSC_7422.jpg

この日は一日中、雨が降り続いていたのだけど、どうしても翌朝にネットが使える環境にいなければならなかったので、何とかがんばって120km先のクタイシに到着。

クタイシでは自家製ワインやアルコール度数の強いチャチャという蒸留酒を飲まされることで有名な、スリコの家というゲストハウスに泊まった。僕はここでの宴会をグルジアでの一番の楽しみにしていたのだけど、残念ながら、去年スリコが飲み過ぎで倒れてしまって以来、それは影を潜めているらしい。それでも奥さんのメディコのホスピタリティーは素晴らしくて、「イート、イート」「ドリンク、ドリンク」と際限なく勧められるままに食べまくり、飲みまくる、とても居心地の良い時間を過ごさせてもらいました。

メディコさん。
DSC_7624.jpg

翌日と翌々日の午前中はクタイシ周辺をゆっくり観光。

郊外にある世界遺産のゲラティ修道院。正直あまり期待していなかったのだけど、丘の上の芝生に歴史を感じさせる石作りの修道院が立っている牧歌的な風景は思いのほか素晴らしかった。
DSC_7505.jpg

DSC_7511.jpg

ゲラティ修道院の帰りに寄ることが出来るモツァメタ修道院。
DSC_7541.jpg

街の中心部の丘にある同じく世界遺産のバグラティ大聖堂。僕が行ったのは日曜日でちょうど聖体礼儀が行われていた。聖堂に入ってくる人たちが、次々とイコンの前に屈み込みキスしていく様子が印象的だった。
DSC_7594.jpg

丘からはクタイシの街並みとカフカス山脈が一望出来る。
DSC_7612.jpg

144日目の走行距離約79km(ロカ岬からの走行距離6918km)
145日目の走行距離約119km(ロカ岬からの走行距離7037km)
実は世界三大料理に数えられていたりするトルコ料理。そんなにお金をかけないで食べられるごはんの種類が多かったので、トルコでの食生活はこれまでの旅で一番豊かだった。そんなトルコの食事を今まであまり紹介出来ていなかったので、この記事でまとめて紹介します。

まずはロカンタと呼ばれるトルコの大衆食堂の料理から。どんな小さな町にも一軒はあり、値段も安いので、僕が一番お世話になったのがこのロカンタ。

ロカンタではカウンターにこんな感じで食べ物が並んでる。指さしで注文出来るので言葉が分からなくても大丈夫なのがありがたい。
DSC_7242.jpg

どこのロカンタにも置いていて、一番安いのがスープ(トルコ語ではチョルバと言う)。食べ放題のパンが付いてくるので、これだけでお腹いっぱいになれる。ちなみにトルコのパンはめちゃくちゃおいしい。旅人の間では世界一という声も多い。

たぶんトルコのスープで一番ポピュラーな、メルジメックというレンズ豆のスープ。
DSC_7366.jpg

イシュケンベという牛の胃袋が入ったスープ。好き嫌いが分かれるくせのある味だけど僕は好きだった。
DSC_5643.jpg

ピラウというバターライスのようなごはんも大抵のロカンタに置いてある。お願いするとプラス1~2リラ位(約50~100円)で写真の用に豆を乗っけてくれたりする。
DSC_7147.jpg

もちろんケバブ屋さんもたくさんある。日本ではトルコのドネルケバブが有名だけど、トルコにはたくさんのバリエーションのケバブがある。

こちらはオーソドックスなドネルケバブをピタで巻いたもの。ぶっちゃけドネルに関してはギリシャの方が美味しいと思った。左の飲み物はアイランという塩気のある飲むヨーグルトのような飲み物。トルコではとてもメジャーでどこにでも置いてある。
DSC_5671.jpg

ピラウの上にドネルケバブを乗っけたもの。
DSC_6386.jpg

アダナケバブという、スパイスで味付けしたひき肉を串に刺して焼いたケバブ。これはトルコで初めて食べたのだけどとても美味しかった。
DSC_7257.jpg

こちらはピデと言うトルコ風のピザ。
DSC_7170.jpg

黒海沿いの地域では魚もよく食べる。こちらは一番よく食べられるイワシ(トルコ語ではハムシと言う)を揚げたもの。
DSC_7333.jpg

イスタンブール名物サバサンド。ガラタ橋近辺に店がたくさん並んでる。実はサバはノルウェー産らしい。
DSC_5797.jpg

この写真の食べ物が、僕がトルコで食べたもので一番美味しかったのだけど、名前を訊くのを忘れた。チーズを混ぜ込んだトマトベースのソースをパンに付けて食べる。後でトルコ人の友達に聞いたところによると、一部の地域でしか食べれない知る人ぞ知る食べ物らしい。サムスンとユンエを結ぶ道のどこかに専門店があるので機会があったらぜひ食べてみてください。
DSC_7148.jpg

お菓子もとても美味しい。ただトルコ特有のお菓子は基本的にシロップ漬けなので、ものすごく甘い。カロリーもかなり高いと思う。

バクラヴァというナッツを挟んだパイ生地にシロップを浸みこませたお菓子。食感が最高。噛むとサクッとした生地からじゅわっとシロップが浸み出してくる。
DSC_7359.jpg

こちらはキュネフェ。春雨を平らに固めたような生地の間によく伸びるチーズを挟んで焼き上げたお菓子。シロップの甘さとチーズのコクの絡みが絶妙。上に乗っているのはカイマックという牛乳から作るバターのような濃厚なクリーム。
DSC_7337.jpg

以上、トルコの印象に残っている食べ物たちでした。
引き続き、グルジアを目指して黒海沿岸を走っていく。

道は相変わらず平坦で走りやすい。それにも関わらず、100kmを越えて走った日が一日もないのは、前回の記事に書いたような理由で、町を歩いたり、宿でゆっくりしたりしながら考え事をする時間が欲しかったから。
DSC_7239.jpg

この数日間は人の親切にいつも以上に恵まれていて、色々な場所でチャイやごはんをごちそうになった。その中でも極めつけがこの食堂のおじさん。
DSC_7241.jpg

僕が一番安いピラウ(トルコのバターライスみたいなもの)に煮豆をかけたものを頼むと、「これは俺からだから」とジェスチャーで示しながらどんどんおかずを乗っけてくれた。更に、このおじさんの友人達がデザートやチャイをどんどん持ってきてくれる。お会計をしようとしても「いいから、いいから」と結局タダ。僕が「テシェクレデリム、テシェクレデリム」(トルコ語のありがとう)と何度も言いながら去ろうとすると、まあ待てと、最後におじさんから手渡されたのが、この地域の名産である2~3キロ分のヘーゼルナッツ。これが出てきたときは笑ってしまった。
DSC_7244.jpg

さすがにこれを積んで自転車で走るのは気が引けた。だけど「少しでいいんだ」と伝えても、「ノープロブレム、ノープロブレム」とおじさんは受け付けない。「自転車に積めないんだ」と伝えても、おじさんの友人がくくりつけるためのロープを持ってくる。それで結局、押し切られてもらうことになってしまった。一人ではとても食べ切れないので、これから各地で少しずつ配って回る予定。

そんなおじさんとおじさんの友人達と記念撮影。
DSC_7251<br />.jpg

更に数日走り、トラブゾンという大きな街に着く。実は約一か月前、バスでこの街に来ている。その時はイスタンブールからテヘランまでをバスで移動するつもりで、イランビザを取得しやすいこの街で事前に取得しておく必要があったからだ。まさか一カ月後に自転車で来ることになるとは思わなかった。
DSC_7334.jpg

ゆっくりとはいえイスタンブールからここまで毎日休まずに走ってきたし、この街にはベンリホテルという一泊15リラ(約750円)の格安ホテルがあるから、そこに二泊していくことにした。

トラブゾン二日目は、郊外にある標高約1,200mの切り立った断崖に張りついているような修道院、スメラ修道院に行った。
DSC_7293.jpg

DSC_7316.jpg

トラブゾンからグルジア国境までは200km弱。途中、お茶の産地として有名なリゼなどを通過しながら進んだ。

この辺の道は黒海と崖に挟まれていて、崖からは小さな滝がたくさん流れ落ちていた。雨続きで天候には恵まれなかったけど、空気もおいしく、走っていて気持ちがいい道だった。
DSC_7362.jpg

イスタンブールを出発して17日目、ようやくグルジア国境近くのアルハビという町に着いた。
何やかやで一カ月半以上も滞在してしまったトルコ。人も風景もごはんもいつか必ず懐かしくなりそうな気がしている。

138日目の走行距離約72km(ロカ岬からの走行距離6524km)
139日目の走行距離約91km(ロカ岬からの走行距離6615km)
140日目の走行距離約60km(ロカ岬からの走行距離6675km)
142日目の走行距離約81km(ロカ岬からの走行距離6756km)
143日目の走行距離約83km(ロカ岬からの走行距離6839km)

より大きな地図で 旅の現象学 を表示

さんふぃ

Author:さんふぃ
ポルトガルロカ岬から、日本に向かって主に自転車で旅行中です。

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。