旅の現象学

2012年から2013年にかけてのユーラシア大陸自転車旅行の記録です。

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イスタンブールを出発し、十日目にようやく黒海に出た。黒海沿岸は標高の高い内陸部と比べてとても温暖な気候で、内陸の厚着では暑さを感じる程。
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気候だけではなく、道も非常に走りやすい。アップダウンの少なさ、途切れない街灯、広い路肩と自転車で走るにはこの上無い道がずっと続く。
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さてこの黒海沿いを走っている内に、内陸を走っている間から、おぼろげに感じていた疑問がだんだんとはっきりとした形を取り出した。それは自転車旅行が果たして今の自分に適した旅のスタイルなのかという疑問。だいぶ前の記事でも書いたように、僕は自転車で走っている時の、流れていく景色と一緒に思考がジャズのアドリブみたいに変化していく感じが好きなのだけど、しばらく自転車をこいでいない間に自分に色々な変化があり、今自分が向き合うべきことがどうもそういうやり方で向き合えないんじゃないかと感じるようになっていた。

黒海沿いを走りだして三日目、そんなことを考えながら走っていると、道の右側の建物の庭を囲む柵を越えて、ピンクのサッカーボールが飛んでくるのが見えた。ボールは道と建物の間の取りに行くのが面倒くさそうな溝に落ち、結構なスピードで自転車をこいでいた僕は、そのまま走り去りそうになったのだけど、思い直して引き返し、ボールを拾い、柵の向こうの女の子に投げ返した。そうしたら窓からそれを見ていたおじさんが僕を手招きし、誘われるままに建物の中に入るとそこは食堂のような場所で、おじさんの好意により、たっぷりのごはん(デザート付き)をごちそうになることになった。
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食事を待っている間に、英語を喋れる女性が僕の前に座り、サッカーボールを蹴っていた女の子を含め何人かの子供達が興味深そうにその周りを囲んだ。女性にこの場所のことを聞くと、孤児院であることを説明してくれた。
 
ごはんを食べ終わった後も子供達はテーブルを囲んでいたので、僕はこんな状況の定番アイテム、折り紙を取り出し、なぜか子供達がこれを折りたいと言ったヘビを教えながら一緒に折ることにした。
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ちょっと難易度の高いヘビを、教えながら一緒に折るのは思ったよりも時間がかかり、途中で子供達は授業で去らなければいけなくなってしまい、僕はその後も子供達が完成させられなかった六匹のヘビを完成させるべく、しばらく食堂に残り続けた。その間、孤児院の先生、マネージャー、食堂のおばちゃん、警備員など色々な人達がお菓子やお茶をもってきて、話しかけてくれた。本当に暖かい場所で、子供達からも、働いている人達からも相当大きなエネルギーをもらった。

未完成のヘビを持って記念撮影。
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たっぷり三時間くらいをその孤児院で過ごした後、出発し、「そうだ、こういう偶然の出会いが俺が自転車旅行を続ける理由なんだ」と意気揚々と自転車をこいでいたのだけど、この日は旅の神様が僕に微笑んでいたようで、これだけでは終わらなかった。次の町で買い物をしようとスーパーの前に自転車を停めていると、スクーターに乗ったおじさん(後で僕と大して変わらない年齢だと判明するのだけど)が話しかけてきて、僕が日本から来たと言うと「そう、どこ?」と関西弁のイントネーションで尋ねてきた。びっくりしながら訳を訊くと、彼は数年間日本の建設現場で働いていたのだと教えてくれた。彼の働く事務所に寄ってくように誘われ、そこでラーメンと何と日本の缶コーヒー!をごちそうになりながら、これもまた日本語を流暢に話す彼の兄弟と友人(後で聞いたところによると、ファトサというこの町は色々な経緯があって日本に出稼ぎに行ったことのある人がすごく多い町らしい)と一緒に色々な話をした。宗教から下ネタまで実に色々な話を日本語でしたのだけど、言葉の壁がなくなってしまえば、彼らがあんまりにも僕達と似た人間であるということに僕は深い驚きと感動を感じた。彼らは郷愁を込めて、青年期を過ごした日本の思い出を語り、「次日本に行くときは家族を連れてくの?」と聞くと、「えっ、一人がいいよ。だって自由に遊べないじゃん」としれっと答える。
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その後、レストランでおいしい肉料理をごちそうになった。僕の奥にいるのが声をかけてくれたIsaさん。何と僕と同い年です。彼の年齢を訊いた時、あぁ俺もいい年なんだなぁとしみじみ感じてしまった。
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たらふく肉料理を食べた後、後から隣のテーブルにやってきた家族が、僕を彼らのテーブルに誘い、彼らが頼んだ魚料理を食べるよう何度も何度も勧めてくる。英語がほとんど通じないので、僕は勧められる度に、お腹いっぱいというジェスチャーをしながらも、ちょっとだけ食べさせてもらっていたので久しぶりにもうこれ以上食べられないというくらいお腹がふくれた。言葉はほとんど交わさず、彼らはもくもくと食べ続けていたけど、僕が目を合わす度におじさんはにっと笑い、女の子はくすっと笑う(これがとてつもなく可愛い)からきまずい感じが全くしなかった。
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優しい何かにずっと包まれていた一日だった。その全てはピンクのサッカーボールが飛んできたことから始まっている。孤児院を通るのがほんの少しでも遅かったり、早かったりしたら、そのボールは飛んでこなくて、この日は全く違う一日になっていたと思う(それはそれで素晴らしい一日だったかもしれないけど)。これまでの旅路でも、そんな世界が自分に向かってすっと手を伸ばしてくれているようなときが何度かあった。僕はそれを奇跡のように感じる。陳腐かもしれないけどこれはしっくりくる実感だからしょうがない。そしてこの類の奇跡が、ごく一部の人にごく一部の時にしか訪れない、というものではないということも、ここまで旅を続けてきて実感している。他の旅行者には他の奇跡が訪れるし、旅行してない人にも気付きにくいかもしれないけどそれは訪れる。要は世界にはたくさんサッカーボールが飛んでるのだと僕は思ってる。

ただ僕がこのサッカーボールを奇跡だと感じれているのは、自分の足で進んだ道でそれに出会っていることによるところが大きいとも思っている。だから僕はそのサッカーボールを追いかけて、もうしばらくは自転車で走り続けてみようかとこの一日を振り返ってみて思った訳です。

135日目の走行距離約121km(ロカ岬からの走行距離6370km)
136日目の走行距離約53km(ロカ岬からの走行距離6423km)
137日目の走行距離約29km(ロカ岬からの走行距離6452km)
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少年の家を出発した後、取りあえずボルという大きな町を目指したのだけど、思っていたよりも登りがしんどく、予定よりも到着が遅れたため、そのまま泊まってゆっくり町を歩いていくことにした。

ボルに限らず、トルコのそんなに大きくない規模の町を歩いているとノスタルジーが湧いてくる瞬間がよくある。建物の作りや雑然としたものの並べ方がどことなく昭和の日本の町を喚起させるし、歩いていてふと流れてくる煮物の匂いやお香の匂いがまた日本的でノスタルジーを誘う。
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モスクのある広場から見下ろした町の中心部。
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次の日も長い登りが続く。高度が上がるにつれ、視界を占める雪の量が増え、途中から完全に雪景色になった。登りがしんどく、ところどころ路面が凍結している個所もあったので、途中からもういいやと半分以上の道程を自転車を押して歩いていた。そんな訳でこの日も50km程度しか進めなかった。

この日はここまでの旅で一番の夕焼けが見れた。高度もだいぶ上がっていてこの時間はかなり寒かったけど、もったいなくて暗くなるまで眺めていた。
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次の日、しばらく進むとこの道の最高点(1325m)に到達。この直後、数キロ続く長い下り坂があり、そこでこの旅の最高速68.5kmが出た。ある速度を境に風の音が変わり、神経が研ぎ澄まされる。一瞬、ニルヴァーナの影が見えたような…。
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最高点を越えると、以降は下りや平坦な道が多くなり、進むほどに気温も上がってくるので一気に楽になった。

以下、数日分の道の写真。
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道の写真おしまい。
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居心地の良い日本人宿に沈没した後の冬の旅なので、さびしさに打ちのめされないか少し心配だったのだけど、一日に二三回チャイに誘ってくれる気のいいトルコ人達のおかげか大丈夫だった。
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イスタンブールを出て八日目に、黒海まで80km程のハブザという温泉街に到着。イスタンブールで唯一満たされなかった温泉に浸かりたいという願望がここで叶った。泉質も温度も申し分なく、おまけに6リラ(約300円)のマッサージと垢すりが最高で溜まっていた疲れが一気に取れた(気がした)。
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寒さや路面凍結をかなり警戒していた区間だったけど、全然走れない道ではなかった。走ることを選んで良かったと、改めて思った。

128日目の走行距離約43km(ロカ岬からの走行距離5843km)
129日目の走行距離約55km(ロカ岬からの走行距離5898km)
130日目の走行距離約68km(ロカ岬からの走行距離5966km)
131日目の走行距離約69km(ロカ岬からの走行距離6035km)
132日目の走行距離約44km(ロカ岬からの走行距離6079km)
133日目の走行距離約77km(ロカ岬からの走行距離6156km)
134日目の走行距離約93km(ロカ岬からの走行距離6249km)
再出発初日、元旦と二日で走ったイズミットまではバスで移動し、夕方、自転車をこぎだす。ちょっと心配だった膝も順調。やっぱり前回は、単に急に使いすぎたことで一時的に痛くなっていただけらしい。出発初日は二三時間軽く走り、イズミットから30km程の地点のガソリンスタンドで泊まった。

二日目は朝早くに起きて走り出す。内陸の高地に向って、ゆっくりと登っていく。
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100km程走った時点で日が暮れてきたので、泊まる場所を見つけようと走っていると、マウンテンバイクに乗った中学生くらいの少年に話しかけられ、そのまま家に招待され、食事をごちそうしていただき、下のガレージにテントを張らせてもらえることになった。

家に招待してくれたフルカン君。
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ボレクというトルコ料理を作ってるお母さん。
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料理が出来るのを待ってる間は少年と少年の妹と折り紙で遊んだりしていた。
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食事の後、いただいたチャイを飲みながら、僕は旅の最初の頃に感じていた見返りを求めない親切に対しての驚きを伴った感動が、何度か似たような経験をする内に大分薄れていることを感じていた。少し寂しい気もしたけど、出来毎の新鮮さが薄れるのは当然と言えば当然なので、まあそんなものだろうと思いながらチャイをすすっていた。

飲み終えると、少年がもう一杯飲むかを尋ねてきた。僕はトルコ語でありがとうを言い、少年からおかわりをもらった。すぐにお母さんが静かな動作で、テーブルの端に置かれた小皿に盛られた砂糖をそっと僕の方に置きなおす。僕がまたありがとうと言うと、お母さんは柔らかく微笑んだ。そのとき、僕はこの家に招待されて初めて、暖かいものが自分の中に込み上げてくるのを感じた。

それをきっかけにどうやら閉じていた感受性が開いたらしい。自分が読んだ本を次々に見せてくる少年の表情、ガレージにテントを張るときに何も手伝えないのにとことこ付いてくる女の子の様子、お父さんのウインク、それらに触れる度、やさしいものが自分の中に浸み込んでくるのを感じた。でもそれらは僕が気付く前からそこにあったものだと思う。

テントの中でその意味について考える。
出来毎の新鮮さは何度も似たようなことを経験する内に当然色あせていく。でもその出来毎の細部には決して色あせえないものがある。ただそれは、出来毎の新鮮さほどダイナミックに心をノックするものじゃないから、自分が心を開いていなければ見過ごしてしまう。今回砂糖をくれたお母さんの微笑みに出会う前の僕はそうだった。

これは旅だけではなく、日常についてこそより強く言えることだと思う。日常において繰り返すことの単調さは旅をしているときよりもはるかに力強く僕に対して影響力を持っていて、僕はそれに飲み込まれがちだ。でもその中に埋もれさせてしまっている色あせないものにアンテナを向けて生きていければ、旅が終わっても、旅をしているように生きていくことが出来る気がした。今の時点でそれが出来るかは正直分からないけど、とりあえずそこに気付けて良かった。

翌日、まだ日が昇っていない六時半に学校に行く少年を見送り、工事現場務めで朝帰りのお父さんを待ち、一緒に朝食をとった。
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パンを石油ストーブの上で焼く。
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朝食後はお父さんと娘さんに見送られて、ボルと言う街に向けて出発!
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126日目の走行距離約32km(ロカ岬からの走行距離5702km)
127日目の走行距離約98km(ロカ岬からの走行距離5800km)
イスタンブール以降、どのように走るのかを非常に迷ったのだけど、結局、行けるとこまで自転車で行くことに決めた。ところどころでバス等を使えば、浮いた時間を使って、他の旅人に話を聞いて大きな魅力を感じていたネパールトレッキングが出来たり、東南アジアを暑くなりすぎる前に走れたりと大きなメリットがいくつかあったのだけど、最終的にここまで繋いできた轍を納得のいかない理由で途切れさせたくないという気持ちが勝った。

そこで問題になったのがインドビザ。僕は期限が発効日から半年のビザを日本で取得していたのだけど、新しいルートの場合、期限内にインドを周るのが非常に厳しい。それでこれから訪れる国と比べると一番取りやすいイスタンブールで再取得することにしたのだけど、ただでさえ大幅に予定が遅れている中、申請から取得までの五日間を特にやることの残っていないイスタンブールに留まり続けるのが嫌だったので、思いきって元旦に出発し、ビザ発効日まで進めるところまで進んで戻ってくることにした。

ヨーロッパとアジアを隔てるボスポラス海峡にかかる橋は、自転車で通ることが出来ないので船でアジア側に渡る。
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出発したはいいものの、元旦と二日はこれまでの人生で一番ついてなかったんじゃないかと思うほど、こまごまとした不運(泊まる場所が見つからずに夜中まで走り続けた挙句のパンクとか)が押し寄せるハードな二日間になった。不運の止めに二日目から膝が痛くなり、これ以上走れなさそうだったのでイスタンブールから100km程のイズミットという街から、たった一日でイスタンブールに戻った。ツリーオブライフに戻ると、当然、残っていた皆さんにからかわれたけど、不運の反動で天国のように思えた。早めに戻ってきたおかげで仲良くなった人を見送ることが出来たり、新しい出会いもあったりしたので結果オーライだったと思う。

しかし不運は続き、五日に取得出来るはずだったビザが手続きミスで八日まで待たされることになり、待っている間に個人的な事情の変化から、自転車旅行を続ける自信を失くした。そのタイミングで気心の知れたツリーの仲間がカッパドキアに行くという話をしていたので、ゆっくり考える時間を持つために僕も便乗して行くことにした。

寒さの厳しい中央アナトリアにあるカッパドキアは完全に雪に覆われている。これはこれでいいのだけど、イメージ通りのカッパドキアは隠れてしまっている感じで、少し残念だった。
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有名な気球もオフシーズンだからかあまり飛ばない。
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大きなおぼんを使ってソリ遊びをしていた子供たちと雪合戦が勃発。
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自転車で来なくて本当に良かった。
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カッパドキアには原始キリスト教徒がイスラム教徒の迫害から逃れるために作った地下都市が点在している。大きなものは地下八層に及び、15,000人もの人が暮らしていたらしい。実際歩けるのは一部だけだけど、想像以上に入り組んでいて、大した道具もない時代によくこれだけのものを作れたなと驚愕する。
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西日に染まるローズヴァレー。
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カッパドキアには二日滞在し、出発から三日目の夜にバスでイスタンブールに戻った。肝心の考え事は大して出来なかったのだけど、皆でわいわいやることでエネルギーをもらえたようで、何とか出発出来そうな気がしていた。それで予定通りのコースを走るべく翌日に出発した。

113日目の走行距離約65km(ロカ岬からの走行距離5598km)
114日目の走行距離約72km(ロカ岬からの走行距離5670km)
イスタンブール滞在が長引いた理由は色々あるけど、日本人宿ツリーオブライフの居心地の良さによるところはかなり大きい。施設はぼろく夜は寒いけど、それぞれの旅路を歩んできた旅人達との語らいと、管理人さんの作るおいしいシェアめし(主に日本食)には抗いがたい魅力があった。

ツリーオブライフの日常。皆、まんがを読んだり、旅の計画を立てたり、好きなことをやってます。
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シェアめしの風景。寿司、コロッケ、親子丼…。管理人さんの作る夕食はバラエティ豊かでどれもすごく美味しい。
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旅するチェロ弾きとギター弾きを中心に即席バンド、スタジオジベタを結成。名前の由来はジブリの曲がレパートリーに入っていたから。演奏のクオリティはさておき、勢いと笑顔で勝負。暖かく聴いてくれる人がとても多かった。演奏中、知らぬ間に後ろから肩を組んできて一緒に写真を取られていたりする。路上の少し離れたところで手縫いの靴下や手袋を売っていたおばちゃんがおひねりをくれたときは涙腺がゆるんだ。シャイな僕は最初少し離れたところから参加する感じだったけど、途中からのりのりで全力投球でした。
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この旅で初めて、自分以外の日本人の自転車乗りに出会った。しかも複数人。同じ土台を共有しながらも、各々の感受性で歩んできた旅路、考えてきたことを共有できたのが素晴らしかった。これから先の旅路、彼らの視点を通しても世界を感じることが出来そう。自転車の修理方法やルートなどの実用的な情報もたくさんもらった。
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誰か新しい人がTreeにやってきてチャイムを鳴らすと、リビングにピョロロロローと甲高い音が鳴り響く。ベランダの近くにいる人が下を覗き、旅行者だったらこのボタンを押して扉を開ける。新しい出会いの始まり。
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この一カ月で数年分の出会いと別れを経験した気がする。日本に帰っても必ず再会したいと思える人が何人もいた。
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ギターがすごくうまい写真の彼が即興で作曲したイスタンブールのテーマがしばらく頭から離れなそう。楽器を持って旅行している人に何人か出会ってうらやましく思い、僕もギターを買ってしまった。
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出発前、皆からもらったメッセージ入りのTシャツを着て記念撮影。これまで何人もの人を見送ってきたけど、今度は見送られる番。この後、ビザ取得やらなんやらでまた帰ってくることになるのだけど…。
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予定していたより相当長い時間を過ごしたけど、後悔は全くないです。素晴らしい時間を過ごさせてもらいました。ツリーで出会った皆さん、本当にありがとうございました!イスタンブールもツリーオブライフも大好きです。

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さんふぃ

Author:さんふぃ
ポルトガルロカ岬から、日本に向かって主に自転車で旅行中です。

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