旅の現象学

2012年から2013年にかけてのユーラシア大陸自転車旅行の記録です。

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バールから25kmほど自転車を走らせてアルバニアの国境に着く。インターネットの情報で道が悪いとあったのだけど、ところどころ狭いところはあるものの思いのほか、走りやすい道だった。

モンテネグロ、その名の通り山がちな国でした。
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アルバニア入国。本当にヒール感漂う国章だよなぁ。この国章、アルバニア人には相当人気があるようで、この先、至るところで目にすることになる。
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さて、入る前は少しびびっていたアルバニアだけど、入ってすぐの国境近くの町で、他のどの国よりも高い頻度で通り過ぎる人達がハローと声をかけてくる。子供たちに至ってはハイタッチを求めてきたりする。何だこれ、全然イメージと違うじゃないか。そして道路沿いの壁にこんなメッセージを見つけ僕は一気にリラックスした。
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町は予想していた以上に発展途上。
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国境付近だけが特別なのかとも思ったのだけど、そんな訳でもなく、だいぶ進んでも通り過ぎる人達の多くが声をかけてくれるし、道を確認するために自転車を止めたりすると、すぐに誰かがやってきて話しかけてくる。そして彼らの笑顔が本当にいい。何の意図も感じさせないすっぱだかの笑顔なのだ。僕が見知らぬ誰かに向ける笑顔や、これまでの旅の中で通り過ぎた人がくれた多くの笑顔が含んでいる、自分が相手の友達だと伝えたいとか、相手をリラックスさせたいとか、そういうポジティブな意図すらも彼らの笑顔は感じさせない。そこから何も読み取る必要が無いから、その笑顔は僕の壁をすり抜けてストレートに響いてくる。そういう笑顔が出来る彼らを僕は少し羨ましく思う。
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この日は暗くなるまで走った後、ロードサイドのモーテルに泊まった。宿探しに関しては、ネット上で首都のティラナ以外の場所の情報がほとんどなくて懸念だったのだけど、前日バールの宿の主人から聞いていた通り、ガソリンスタンドに併設されたモーテルが割と頻繁に見かけられ、今後も特に困ることはなさそうだった。値段に関しても20ユーロ程度と安かった。

アルバニアに入ってからティラナまでの約100kmはほとんどずっと平地。天気も良く、久しぶりに何にも邪魔されず思いっきり走ることが出来た。
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翌日は、とりあえず首都のティラナに向かった。事前に得た情報は「特に見る場所がない」というのがほぼ全てだったので、特に何も期待していなかったのだけど、行ってみるとすごく楽しかった。確かに特別な観光スポットはないのだけど、あちこちから聞こえてくる騒々しいクラクション、不規則な人の波、砂埃でかすむ遠くの建物など、ヨーロッパの他の都市と大きく異なる空気の中に身を浸すことは新鮮で刺激的だった。
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どんだけこのマークが好きなんだ。
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この日はティラナから山をひとつ越えたエルバサンという町まで走り、そこのモーテルに泊まった。

 翌日、この日の内にアルバニアを抜けてマケドニアに入るつもりで出発した。途中、リブラシドという町を抜ける直前にあったファストフードショップでサンドウィッチを頼み出来上がるのを待っていると、かなり汚い格好をした三人組の子供が僕の自転車に近付いてきた。特にはしゃぐ訳でなく、じっと僕や自転車を見つめたり、自転車に触ってきたりする彼らの様子は他の子供たちとは違っていて、どこか暗いものを感じさせるところがあった。少し警戒をしながらも僕は、他の子供たちとそうするように英語とジェスチャーでコミュニケーションを取ろうとしたのだけど、それも食い付きが悪い。サンドウィッチを受け取った後、僕は子供たちにじゃあねを言って走り出した。しかし彼らは走ってついてくる。三人の内の一人はボロボロのキャスターケースを引きずりながら。かなり長い距離を走ってもまだ付いてくるので、何だかそのまま振り切るのが心苦しくなって、僕は自転車を止めた。しかし止まってみたもののコミュニケーションがとれる訳でもないので、とりあえずこんなときのために持ち歩いている折り紙を取り出して鶴を折ってみた。彼らは興味深そうに見ながら、ときどきぼそぼそと話したりしていたのだけど、その様子もやはり他の子供たちが折り紙に示す反応とはだいぶ違っていた。
 出来上がった鶴を渡すと喜んではくれたようだった。再び出発しようと折り紙をしまっていたら、一人の少年が人差し指と中指を親指でこする万国共通の仕草をしながら、「レク、レク」とアルバニアの通貨の名前をつぶやいた。僕は反射的にノー、ノーと言った。たぶん眉間にしわを寄せて。彼はプリーズと言い、僕はもう一度、今度は困ったような顔をしてゆっくり首を振りながらノーと言った。それで彼は引き下がった。僕は「もう行くよ」と言って走り出した。
 しかし彼らは再びついてきた。自転車が揺れるなと思ったら、お金をねだってきた少年が自転車の後ろに積んだ荷物を押しながら走っているようだった。僕は振り向いた。その時に見たものを僕はずっと忘れないようにしたいと思う。彼は息をはあはあさせながら、すごくいい笑顔で笑っていたのだ。しばらくの間、そうして走った後、彼らは離れていった。振り返ると、彼らは大きく手を振っていた。
 走りながら自分の中の冷たい何かが溶けていくのを感じた。彼らは他の子供たちや昔の僕がそうだったように、ただ新しいものに触れたくて近づいてきたのであって、お金をもらおうと思ったのは付随的なものなのだ。そういうことを考えれば考えるほど同時に自分の中にひっかかっているものが大きくなっていった。
 この日アルバニアを抜ける予定だった僕は、この町で残っていたレクを使い切るつもりだった。それなのになぜ僕はレクをくれと言う少年に、頑なにノーと言ったのだろう。たぶん僕は彼がレクと言うのを聞いた瞬間に、ステレオタイプ的な嫌悪感に支配されて、彼を対等な人間として見るのを止めてしまったのだと思う。しかし彼の笑顔は、彼を対等な人間として見ることに、僕を否応なく引き戻した。
 僕は自分の精神の不自由さを強く感じた。そして何だかここで引き返さなければ、これから先もずっとその不自由さの中で生き続けることになる気がしてきた。それで僕は引き返した。幸い彼らは同じ道にいて、僕が近付くと小走りに寄ってきた。僕は持っていた小銭をさっきの三人と新しく加わっていた一人に手渡した。一人がいくつも硬貨をもらおうとしたのだけど「シェア」と言ったらおとなしく引き下がった。再び僕が走り出すと、彼らはさっきと同じようについてきた。しばらく走って彼らは止まった。振り向くと手を大きく振っていた。今度は僕も気持ち良く手を振ることが出来た。

 この日はアルバニア国境近くまで走った時点で暗くなっていたので、見かけたモーテルに泊まっていくことにした。入る前は一日でも滞在を短くしようと走行計画を考えていたアルバニアだったけど、今では去るのを名残り惜しく感じるようになっていた。

72日目の走行距離約88km(ロカ岬からの走行距離4393km)
73日目の走行距離約101km(ロカ岬からの走行距離4494km)
74日目の走行距離約60km(ロカ岬からの走行距離4554km)
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ドゥブロブニクに着いた翌日は一日、町を散策した。ドゥブロブニクは町の中を歩いていてもそんなに面白くは感じなかったのだけど(どうも最近ヨーロッパの町がお腹いっぱいになってきた気がする)、町をとり囲む城壁や丘の上から俯瞰すると、ぎゅっとコンパクトに集まった赤い屋根達がアドリア海に映えてとても見応えがあった。

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旧市街の一角。歴史のあるヨーロッパの町はそれぞれの個性もあるのだけど、共通する部分も多くて、その共通する部分に少し飽きてきた気がする今日この頃。飽きてきたというのはあくまで旅行者の視点で、生活する分にはまた違うと思うけど。
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 翌日、モンテネグロに向かって出発した。ドゥブロブニクからどのルートを通ってギリシャに抜けるかは、しばらく前から悩みの種だった。考えられるルートは二つあって、一つはモンテネグロ、アルバニア、マケドニアを経由するルートで、もう一方はモンテネグロ、コソボ、マケドニアを経由するルート。どちらのルートにも心配の種がある。一つ目のルートに関してはアルバニアの治安と道路状況。この国に関してこれまであまりいい話を聞いてこなかったし、ネットで調べてみても出てくる情報はほとんどネガティブ。wikipediaで読んだ最近の国の歴史は苦笑いせずにはいられないものだったし(1980年代まで鎖国状態だったとか、市場経済に移行した直後に国民の半分がネズミ講にはまり最終的に国民の三分の一が全財産を失ったとか、国民皆兵政策で出回った武器がまだ大量に残ったままだとか)、いくつか読んだ旅行者の話もポジティブなものは一つもなかった。しかもこれといった見所もないようだからモチベーションが上がらない。
 一方で、二つ目のルートはモンテネグロの最高地点が1800mになる道を通らなければいけなくて、この季節に僕の装備でその道を通るのは結構危なく思えた。僕は悩んだ末にモンテネグロ、アルバニア、マケドニアを経由する道を選んだ。最後の一押しになったのはスプリトでフィリップがアルバニアをエキサイティングな国だよ、とおすすめしてたからなのだけど(アルバニアをポジティブに語っていたのはこれまでで彼だけだ)、その彼は、アップダウンにかなり苦しめられたスプリトからドゥブロブニクの道を平らだと言っていた人物だから、どうにも微妙な一押しだ。

去り際、丘の上から見たドゥブロブニク。
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モンテネグロの国境近くからこんな森をよく目にするようになった。ちなみにモンテネグロという国名は黒い山という意味らしい。
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この日はモンテネグロの中では有数の観光地であるブドヴァという海辺の町に泊まった。クロアチアの観光地と比べるとどこかひなびていて何となく熱海を彷彿とさせる町だった。そしてモンテネグロに入って一気に物価が下がった。

この日の夕食。これまでの国では3~4.5ユーロだったケバブが一気に2ユーロに下がった。
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次の日、予定ではアルバニアに入り、シュコダルと言う町まで進むつもりだったのだけど、アルバニア国境まで30km程のバールと言う町に着いた時点で空が既に暗くなり始めており(困ったことに最近は四時頃には暗くなり始める)、アルバニア国境付近の道はかなりラフだという話を聞いていたので、結局この町に泊まっていくことにした。この日泊まった宿の主人の英語が堪能だったので、アルバニアの情報を色々と訊き、道沿いの宿の状況など、いくつか安心できる情報を得ることが出来た。

ブドヴァからバールに向かう海岸線の道で見かけたかわいらしい島。
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70日目の走行距離約93km(ロカ岬からの走行距離4263km)。
71日目の走行距離約42km(ロカ岬からの走行距離4305km)。
フィリップ宅から出発する際、フィリップから家の庭で採れたオレンジとレモン、それにパワーが出るからとにんにくを数個ずつ、手渡された。オレンジとレモンはありがたいけど、にんにくはどう食べればいいんだろう…。そして僕達は例のごとく日本で会おうと約束して別れた。

次の目的地、ドゥブロブニクまでは約220km。スプリトに一日長く滞在した分の遅れを取り戻そうと、二日で着こうと思っていたのだけど、自分でも驚くほど足のふんばりが効かない。どうも三日前に140km走った際に、しつこい疲れがたまってしまったような気がする。そしてクロアチアの海岸線は、非常にアップダウンが多く足にくる。まぁそれが故に景色が素晴らしいのだけど。途中で二日間でドゥブロブニクまで走ることをあきらめ、この日はスプリトから60km程のマカラスカという町に泊まった。

こんな感じに海岸近くまで山が張り出している。
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日が沈んだ後の海辺の小さな町。三日月がとてもきれいだった。
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次の日も前日と変わらず足が重かった。海岸線の景色は相変わらずきれいなのだけど、遠くの山肌にうねうねした上り坂が見えると精神的にしんどい。この日も前日と同じくかなりのスローペースで60km程しか進むことが出来なかった。
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フィリップがすごくいい景色だよ、と言っていた海の近くに点在する湖群。ぎりぎり日没前に到着。
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次の日、ドゥブロブニクまでの距離はまだ100km以上残っていたけど、この日の内に絶対着くぞ、と決心して早い時間に出発した。

この日は内陸の田園風景が素晴らしかった。
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陸路でドゥブロブニクに行くには、10km程ボスニア・ヘルツェゴビナを通らなければならない。道を走るだけかなと思っていたのだけど、途中に以外と大きな町があった。
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クロアチアに戻り、60km程走るとドゥブロブニク。途中、落石の除去で足止めを食らったりして遅くなってしまったけど何とか到着。

夜のドゥブロブニク。
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よく月を眺めた三日間でした。
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66日目の走行距離約57km(ロカ岬からの走行距離4007km)。
67日目の走行距離約59km(ロカ岬からの走行距離4066km)。
68日目の走行距離約104km(ロカ岬からの走行距離4170km)。
 プリトヴィツェ湖群国立公園からは沿岸のスプリトという街を目指して走った。スプリトまでの距離は約210km。二日で到着するべく出発したのだけど、一日目はこの旅始まって以来の強い向かい風が吹いていて、全くスピードが出なかった。ただこういう日は道行く人たちがいつも以上に優しい。

車を停めて、缶入りの飲み物をくれる男性二人組がいたのだけど、見たらビールで笑った。日本だと飲酒運転幇助になる気がする。
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 夕暮れ頃、道路沿いのレストラン前で自転車を止めて地図を確認していると、レストランにやってきたおじいちゃんが、めちゃくちゃ親しげに握手したり肩を組んできたりしながら一緒に何か飲んでけ、と言ってきた。暗くなる前に近くの町で宿を見つけたかったので、遠慮したかったのだけど、うまくこちらの意思を伝えることが出来ず、結局飲んでくことに。そして「ノーアルコール」と言ってコーラを頼んだにも関わらず、結局出てきたのはアルコール入りのコーラ。おじいちゃんは終始にこにこドイツ語(クロアチアはドイツ語を喋れる人が多い)で何か話してたけどほとんど何言ってるのか分からなかった。言葉が途切れると取りあえず「乾杯!」。一杯だけのつもりが結局三杯も飲まされてしまった。でも懸案だった宿探しは、ここのレストランの主人が隣町で経営している宿に安く泊まらせてもらえることになったので助かった。

絵に描いたような農家のおじさんだけど、車の整備とかをやっていた人らしい。
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 結局この日は70km弱しか走れなくて、翌日スプリトに着くには約140km走らなければならないことになった。で翌日、ひたすらこぎ続けて何とか着きました。走った距離はこの旅最長の143km。ただその後数日疲れが残り続け、自転車が明らかに重くなったので、あんまり効率が良かったとは言えないと思う。

スプリトの町並み。昔の宮殿の遺跡の中が町になっている。
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 その翌日はスプリトに留まり、町を散策したり、洗濯などの用事を片づけたりしていたのだけど、午後ブレーキ交換のために来た自転車屋の入り口で前のお客さんが出てくるのを待っていると、目の前の道路で信号を待っている車から男の人が出てきて、何やらこちらに向かって叫んでいる。最初は自転車屋の知り合いか何かだと思っていたのだけど、どうやら僕に向かって叫んでいるらしい。何なんだろうと思っていたら、彼は車の中から金色に光る缶を取り出し、高々と掲げた。僕は思わず大声をあげてしまった。それは前々日に僕が路上でもらったビールだった。それから彼はこちらに駆け寄ってきて、抱きついてきたのち握手をした(クロアチアの人は本当にスキンシップが多い)。彼は前々日に車をとめてビールをくれた二人組の一人だった。「まさかこんなとこで会うとは思わなかったよ。クレイジーだね!」フィリップと名乗った彼は言った。僕達はしばらく立ち話をした後、夜に待ち合わせをしてごはんを食べに行く約束をし一旦別れた。

 夜、フィリップと落ち合うと、僕にビールをくれたもう一人の男性のところに行くことになった。車の床には僕がもらったのと同じビールが三本転がっていた。この国に限らずヨーロッパには飲酒運転と言う概念がないんじゃないかと思う。もう一人の男性はヴェドランといい、フィリップの奥さんのお父さんとのことだった。彼が自転車で走る僕を見かけ、ビールをあげようと決めたのだと、フィリップは言った。「彼にビールをあげよう、いつかまた彼に会うときがあるかもしれないからってヴェドランは言ってたんだよ。それがさっそく今日だとはね。まったくクレイジーだよ!」とフィリップはクレイジーを連発していた。

 ヴェドランの家で彼の家族と一緒にごはんを食べた。その時、ヴェドランがサロン経営者だという話を聞いて、僕が何も考えずに髪を切りたいと思ってたと言ったら、ヴェドランはじゃあ明日うちで切っていけばいいじゃないかと言った。ちゃんとコミュニケーションがとれるヴェドランに切ってもらえるのはとても魅力的に思えたのだけど、先を急ぎたい気持ちも強く(そのために前日に140kmを走ったりしている訳で)、迷いながらも翌朝出発する方に傾いていたら、フィリップが「明日の朝、俺、水道関係の仕事があるんだけど一緒にやらないか。その後に髪切ればいいんじゃない」という訳の分からない提案を始め、しかしなぜかそれがとても魅力的に思えて、結局その話に乗ってしまった。

ヴェドラン一家。一番左がヴェドラン。左から二番目がフィリップ。
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 翌朝、七時半にピックアップしてもらい、向かった先はフィリップの知り合いの家。そこの庭に水道管を通すための溝を掘るのがその日の仕事だった。「このケーブルは電話線だから気を付けてね。この前、間違って切っちゃてさ。周りの家の電話が使えなくなっちゃったんだよ」仕事の説明の際、フィリップはくったくのない笑顔で言った。何と言うゆるさだろう。日本で自分が同じことをやったら間違いなく胃痛に苦しむはず。

何てゆるい表情なんだ。
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 仕事を終えると、ヴェドランのサロンに連れて行ってもらい、髪を切ってもらった。外国で髪を切るの不安だったのだけど、すごくいい感じにしてもらえた。切り終わってお金を払おうとするとヴェドランがいらないと言うので、「この髪、すごく気に入ったし、あなたはプロなんだから払わせてよ」と僕が言うと、「じゃあそこのバーで飲み物をおごってくれ」とヴェドランが言った。それでバーで一緒に一杯飲んで、店長にお金を払おうとすると、今度は店長が首を横に振った。うわー。

 髪を切った後は、ヴェドランの家でお昼ごはんをごちそうになり、その後、この日泊めてもらうことになっていた郊外にあるフィリップの家に自転車で向かった。その後もフィリップと彼の家族と一緒に川辺を散歩したり、知り合いの溜まり場でサッカー観戦をしたりと一日中、ゆったりとした暖かい時間を過ごさせてもらった。

川辺のフィリップ家。
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ガレージを改造した溜まり場で地元のおじさんたちと。フィリップは30歳で周りのおじさんたちと比べるとだいぶ若いのだけど、彼らと自然な友達付き合いをしているように見えた。すごくいいなと思った。
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62日目の走行距離約66km(ロカ岬からの走行距離3797km)。
63日目の走行距離約143km(ロカ岬からの走行距離3940km)。
すごくいい場所だったので写真をまとめてみました。ここは新緑の季節にぜひもう一度来てみたい。
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数えきれないほどの様々なバリエーションの滝。
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宿を出て20km程でクロアチアの国境に着いた。この旅を始めて初めてのアクティブな国境。ここから先は通貨もユーロからクーナになる。
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20kmほど峠を下っていくとアドリア海に面したクロアチア最初の町(小さな集落は除く)が見えてきた。
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町に入り、すぐにここが今まで通ってきた町とは違う町なのだと感じた。具体的にどこが違うと言うのは難しいけど、歩いている人の表情、植えてある植物の種類、建物の色合いなど色々な要素の組み合わせが僕にそういう印象を与えたのだと思う。ちょうど十二時の鐘が鳴っていた。世界がどこまでも広がっているような気がしてそれがたまらなく嬉しかった。

そこから更に10km程進んだリエカという街。
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しばらく海沿いの道をこいでいく。複雑に入り組んだ入り江、沖に浮かぶ大小様々な島々が作り出す海岸線は絶景の連続だった。
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翌日も絶景が続く。
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海の透明度がやばい。鼻をつく潮の匂いが全くしないので真水のように思えてくる。
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 セニと言う町までずっと海岸沿いを走った。セニに着いたのは12時頃。この日はここから内陸部に向かって80km程走り、プリトヴィツェ湖群国立公園近くの宿まで走る予定を立てていた。ただでさえタイトな予定だった上に、セニで明らかに長期旅行をしている人の自転車が二台並べて置かれているのを見つけ、持ち主を待っていたら出発するのがかなり遅れてしまった(二台の自転車はアメリカ人の若い夫婦の旅行者のものだった。彼らも僕と同じくイスタンブールを目指しているとのことなので、たぶんこれから先も会うことになると思う)。
  
 地図を見て、セニからしばらくは山を登ることが分かっていた。僕はふだん一人で山を登るときは途中で何度も止まりながらゆっくり登るのだけど、時間がおしていたので、自転車を降りずに登れるところまで登ってみようと決めた。最初は軽い気持ちで決めたことだったのだけど、ペダルを1000回回すまで、次の大きな上り坂を越えるまでと、何度か小さな目標をクリアしていくうちに、いつからかここで自転車を降りたらそこで自分の限界が決まってしまうような気がしていた。それで僕は、頭や心でどこまで登るのかを決めるのではなく、体が本当に動かなくなるまで登り続けようと決めた。

 埃をかぶったバッテリーを一つ一つ目覚めさせていくような感覚を覚えながら、自分でも驚くほど長い時間登り続けることが出来た。途中で小学五年生のときの縄跳び大会のことを思い出した。運動があまり得意ではない僕だけど、そのときは自分のどこからかエネルギーを引き出し続けることが出来て、ふだんよりずっと長い時間飛び続けることが出来たのだ。それ以来、その時ほど自分のリソースを使いきってからっぽになれたことはなかったと思う。自転車をこぎ続けながら、本当に体が動かなくなるまでこの山を登り続けることが出来たなら、その時の自分に届きそうな気がしてきていた。

 結局、それは叶わないまま終わった。標高700mの標識を越えた時点で峠が終わってしまったからだ。その後もずっと道は続き、降りずに自転車をこぎ続けたけど、平坦な道で山を登っているときの感覚はなかった。最終的に日が沈んだ後、夜道を走る準備をするために自転車を降りた。体が動かなくなるまでこぎ続けるという目標は叶わなかったけど、自分の中に重みのあるエネルギーの塊のようなものを感じた。

降りた時点で、走った距離は45km、時間は約三時間半だった。 
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58日目の走行距離約101km(ロカ岬からの走行距離3535km)。
59日目の走行距離約114km(ロカ岬からの走行距離3649km)。
 ヴェネツィアからスロベニア国境までは約160km。ヴェネツィアを出て二日目、イタリア最後の都市、トリエステに着く。
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 イタリアも最後なのでちょっと食べ物について書いておきたいと思う。イタリアに入って、この旅が始まって以来たぶん初めて、体重が増加に転じた。僕はこの国で冬眠前の熊のようにピザやスイーツを食べた。イタリアの天気はなかなかタフだったけど、食の面では相当甘ったれた旅をしていたと思う。

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ピザは大体一切れが普通の街だと1.5~2ユーロ、ヴェネツィアなどの観光地だと2.5~3ユーロくらい。僕は二切れ食べれば大体お腹が膨れるので、この旅で頻繁にお世話になっているケバブ(一つ3.5~4.5ユーロ)よりも経済的。そんな訳でイタリアに入ってピザを食べない日がなかった。日本で同じことをやったらうんざりしそうなものだけど、イタリアにいるとそれが普通に思えてくる。ピッツァリアは本当にどこにでもあって、日本のコンビニと同じような頻度で見かける。

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イタリアにはパティセリ―が本当に多くて、小さな町にも大抵一件はあり、ショーケースの中に一つ1~1.5ユーロの個性豊かなドルチェが並んでる。町に通りかかり、パティセリ―が目に入るとさっきの町で寄ったばかりなのに「ここで通り過ぎたらもう二度とここのお菓子は食べれないんだなぁ」とか思って、つい立ち寄ってカプチーノと一緒に小さなケーキを2~3個食べてしまうのが常だった。

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ジェラッテリアもよく見かける。一番小さなサイズでも日本のサーティーワンのレギュラーサイズ位の量があって、1~2ユーロで食べられる。

 上に挙げた三つはどこで食べても美味しかった。今のところイタリア以外でもその国が十八番とする食べ物で外れに出くわしたことはない。

 トリエステからスロバニア国境までずっと峠を上っていく。スロベニアに着いたのは日が沈む少し前。スロベニアは旧ユーゴスラビアの国だけど、今はEUに加盟しているし経済も悪くないと聞いていたから、これまでと同じ感覚で国境を越えたのだけど、最初の町に入って異変に気付く。まだ日が沈んだばかりだというのに街がとてもしずか。スーパーマーケットや食堂は閉まっているところが多く、開いているところもこれまでの国と比べると電飾がかなり控えめだった。町の外に出るとこれまでの国では少しの間、街灯が続いていたのだけど、ここではぱたっとなくなり真っ暗になる。車の通りも少なくて安全と言えば安全だったのだけど、今まであまり感じてこなかった種類の心細さを感じた。この日はクロアチア国境まで30kmほどのところにある民宿に泊まった。明日はEUを出てクロアチアに入る。

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56日目の走行距離約102km(ロカ岬からの走行距離3345km)。
57日目の走行距離約89km(ロカ岬からの走行距離3434km)。
 パドヴァに着いた翌朝、情報を集めてみると、昨日までとは違って今日のヴェネツィアは歩けないような状態ではないらしい。それに悪天候の中、自転車をこぐ日が続いたせいか、体がだるく、少しゆっくり休みたかった。それで結局、パドヴァから約40km、ヴェネツィアまで電車で約10分のメストレという街にこの日は泊まることにした。
 午後三時くらいにメストレに着くと、自転車や荷物を置いてヴェネツィアに出かけた。水は引いていて苦労することなく街を歩けた。むしろ濡れた石畳に反射する街灯の光がとてもきれいでいい日に来たと感じた。
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 五年前の旅行で初めてヴェネツィアを訪れたとき、どこを見回しても観光客だらけの街が大きなテーマパークのようにしか感じられなかったのを覚えている。それは僕の持っていたヴェネツィアのイメージと違っていて、歩いても歩いても僕がこの街に求めていた何かはずっと満たされないままだった。それに加えて宿でデジカメを盗まれたこともあり、ヴェネツィアにはあまり良いイメージを持っていなかった。

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 五年前にも見た、テレビや雑誌で見るようなヴェネツィアの風景が通り過ぎていく。前回の記事でも書いたように今回は観光客の多さも織り込み済みだったし、幻想も抱いていなかったから、ここでしか見られない風景を見ることを純粋に楽しんでいた。だけどそれはきれいな写真や映像を見る楽しさ以上のものではなかった。

 でも途中で何かが変わった。何がきっかけを作ったのかは分からない。でもそれはヴェネツィアのランドマーク的な風景ではなくて、もっと些細な、意識の表層に留まらずに通り過ぎていくようなものの蓄積だったのだと思う。道行く誰かの顔、匂い、風、光の反射、たぶんそういうものが歩くリズムと一緒になって、いつのまにか自分の中にいい音が響いていた。一度、そういう音に満たされると街と意識がかみあい、風景は自分から語りかけ、僕の中では新しい言葉やそれによる気付きが生まれ続けていった。リスボンでも感じた世界の豊かさの中に身を浸しているような感覚と共に僕は歩いた。街を歩くことは、街と自分のジャムセッションのようだと思う。今回それがとてもうまくいった。

 結局、ヴェネツィアには二日間滞在し、三日目の朝に出発した。前回この街を出発した時とは違って、また訪れたいという気持ちが自分の中にあった。

55日目の走行距離約40km(ロカ岬からの走行距離3243km)。
 イタリアに入ってから悪天候が続く。ピアツェンツァからヴェローナまでの距離は140kmくらい。地図を見る限り道も平坦なのでうまくいけば一日で着けるかもと思っていたのだけど、この日は一日中雨で、夕方からはほとんど嵐のような状態だったので結局、ヴェローナまで残り60kmくらいの地点で民宿に泊まった。ちなみにイタリアの一般的な宿の値段はスペインとフランスの中間くらい。35~40ユーロ位の宿であれば苦労することなく見つけられる。

翌日午後にヴェローナに着き街を散策した。
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 歴史のある建物が多く残る街並みが、人々の活気で色づいているダイナミックな街だった。
 ところでヨーロッパの有名な街は本当に観光客が多い。五年前に旅行した時は、それが自分の抱いていたヨーロッパの街の情緒に一致しなくて、違和感を感じていたのだけど、今回の旅行では最初からそういうものだと分かっていたので特に気にすることなく楽しめている。
 これは最近気付いたことなのだけど、自分の抱いているイメージに目にしたり聴いたりしているものを当てはめようとすることは、僕にとって共鳴しようとする楽器を抑え込んでしまうことに似ている。昔聴いていた音楽を何かを期待して聴いてみてもなかなか響いてこなかったりするけど、たまたまラジオでかかっているのを聴いたりするとなぜかとても響いてきたりする。ある夜中、用を足しにテントから外に出て、何気なく空を見上げて視界に入った天の川は、それを求めて空を見上げたときよりもずっとすっと響いてきた。

 翌朝、ジェノヴァで知り合ったコロンビア人とたまたま再会し、次はヴェネチアに行くと伝えたら、昨日までヴェネツィアにいた彼は、ヴェネツィアは大雨で街の大部分が冠水していて歩くのがすごく大変だったと教えてくれた。インターネットで調べてみるとYahooのニュースにもなっていた。最初の予定ではヴェネツィア内にあるユースホステルまで自転車と水上バスで行くつもりだったけど、それはかなり厳しそうだ(冠水を抜きにしてもヴェネツィアはなかなか自転車には厳しい街で、街の中で自転車に乗ることが出来ない上、階段も多い)。そうなるとヴェネツィアに行くには近くの街に自転車を置いて電車を使うことになる。もともとヴェネツィアにはそんなに執着がなかったし、今後の予定的にちょっと先を急ぎたかったので、寄らなくてもいいかなと思いながら、この日はとりあえずパドヴァという街に向かった。午前中は晴れていたのだけど、午後には曇りだし、夕方頃から霧が濃くなり一気に気温が下がった。久しぶりに晴れた空の下を一日中走りたいと思った。

パドヴァの街の中心の広場。
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52日目の走行距離約82km(ロカ岬からの走行距離3052km)。
53日目の走行距離約62km(ロカ岬からの走行距離3114km)。
54日目の走行距離約89km(ロカ岬からの走行距離3203km)。
ステファノが去った後、ジェノヴァにもう一泊して街を歩いた。11月を飛ばして12月になってしまったような寒さで、ホステルを出るときには十分だと思っていたロングスリーブTシャツにウインドブレイカ―だけだと我慢できず、街でセーターを買ってしまった。

ジェノバの街並み。
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イタリアの都市はどっしりとした建物が多い。
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翌日、出発しようと外に出ると、三日ぶりの晴れ空にも関わらず、昨日以上の寒さだった。ジェノヴァから最短の経路で西へ進むには80kmほどの山岳地帯を越えなければならない。初めは山岳地帯をある程度迂回出来る長めの経路をとって西へ進もうと思っていたのだけど、ホステルの人に訊いたら、短い方のコースは景色がとてもいいらしい。それで僕はそちらの道に行くことにした。

丘からジェノヴァの街を見下ろす。
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この日は山でキャンプをする予定だったのだけど、日が沈んだ後、寒さが加速度的に増して、更に雨が降りそうな空模様だったので、結局標高800メートルくらいのところにある小さな町のホテルに泊まった。町の電光掲示板の温度計を見ると、-1度になっていた。つい数日まで半袖ハーフパンツで自転車をこいでいたのが嘘のようだ。

翌日はやはり雨になった。しっかり防寒対策をして走り出したのけど、グローブは冬用のものをまだ手に入れていなかったので、冷たい雨に濡れて手が凍えた。しかし湿った冷たい山の空気の中を走りぬけていくのはすごく気持ち良かったし、霧がかった山の景色も幻想的で本当に素晴らしかった。
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ときどき現れる小さな村もとても美しかった。
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標高の高いところでは雪が積もり始めていた。
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この日は山岳地帯を抜けて、ピアツェンツァという街に泊まった。
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50日目の走行距離約33km(ロカ岬からの走行距離2865km)。
51日目の走行距離約105km(ロカ岬からの走行距離2970km)。
 エズ村は五年前にヨーロッパを旅行した際、とても気にいった場所の一つだった。つづら折りの急な坂道を上り終え、広い道に出ると、遠くの崖の上にエズ村が見えてくる。
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もう一度見たかったこの村の熱帯植物園からの眺め。やっぱり素晴らしかった。
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エズ村を出ると、モナコまではずっと下りが続く。モナコの街並みをざっくり見物した後、イタリア国境を目指す。
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イタリア国境。
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 今まで三つの国境(モナコは除く)を超えてきたけど、やはり国境を超えると街並みががらっと変わる。五年前のヨーロッパ旅行では国と国の違いを今ほど感じられなかった。自転車で国毎の大小様々な街を通ってきているから、初めて感じられている違いなのだと思う。

 目的の街が近くなってきた頃、今晩泊まる場所の鍵を七時まで取りにいかないと行けないので、ステファノはスピードを上げた。僕もかなりがんばってこいだのだけど、街の中心に差し掛かった頃、ついに見失ってしまった。はぐれた際の待ち合わせ場所に決めていたダンテ広場をGoogleマップで検索し、そこに向かったのだけど、待てども待てどもステファノは現れない。そもそも広場に来たはずなのに僕がいる場所は道の真ん中だった。豪雨の中、公衆電話を探し、祈るような気持ちでステファノに電話する。まだメールアドレスもfacebookアカウントも交換してなかったからこれで電話に出なかったら打つ手がない。幸いステファノは三コールほどで電話に出た。今いる場所を説明すると彼はそこで待ってるように言った。約十五分後、ステファノは雨でびしょびしょになって現れた。「どこに来てるんだよ。全然ちがう方向じゃないか」大笑いして彼は言った。それから一緒にダンテ広場お通ってアパートに向かう。そこはステファノとはぐれた場所から目と鼻の先の街の中心地だった。どうやらGoogleマップに一杯食わされていたらしい。

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 こぎれいなアパートの一室に自転車や荷物を詰め込むと、近くのピッツァリアに出かけ、ビールを飲みピザを食べた。ピザは本当においしかった。会計の際、ステファノはここは自分が出すと言ってひかない。それで僕は「日本に来たら寿司をおごるよ」と言ってごちそうしてもらった。アパートに戻り、シャワーを浴びベッドに入ると、すぐに深い眠りが訪れた。盛りだくさんな一日だった上に、前日は例のいびきのせいで全然寝れていなかったのだ。

 翌日、十時頃に目覚めた。この日の僕の予定はこれまでの旅路で度々出会っているフランス人自転車旅行者のアレックスとオーレリアン次第だった。彼らはジェノヴァから南下し、ピサやフィレンツェを通ってローマに向かい、僕はジェノヴァ以降もそのまま西に進んでイタリアを抜けるので、おそらくジェノヴァがこの旅で彼らに会える最後の場所になる。それで何とかその前に会えればと思っていた。ところがアレックスに電話してみると、ちょっとしたトラブルがあったようで彼らはまだエクス=アン=プロヴァンスにいるらしい。エクス=アン=プロヴァンスからここまではおそらく5日はかかる。ビザや寒くなってくる気候のことを考えるとそこまで待つことは厳しいので諦めざるをえなかった。電話の切り際、僕が「See you in somewhere in the world」と言うと、アレックスは「See you in Japan」と応えた。そうなればいいと思う。

 アレックスとオーレリアンに会えないのだったら、なるべく早く西に進みたかった。そのことをステファノに伝えると、彼は「俺もジェノヴァに行くよ」と言った。僕は驚いた。当初ステファノはここから北上し、トリノの実家を目指す予定だった。ジェノヴァに寄ると約100kmの回り道だ。僕が「本当にいいの」と訊くと、彼は「ジェノヴァは好きな街だから」と答えた。彼ともう一日走れるのはとてもうれしかった。

 インペリアの街を出発する頃にはもう12時を回っていた。ジェノヴァまでの距離は120km。おそらく僕一人だったら途中でキャンプをすることになってたと思う。でもステファノは今日中に行こう、と言う。まあホステルのチェックインはは23時までだから、それにまでに着けばいいだろうと思っていたら、更に彼は「夜のジェノヴァは道路が混んでて危ないから暗くなる七時半前までに着こう」と言った。普段の僕からしたら相当なオーバーペースで、かなり厳しく思えた。僕は苦笑して「ベストを尽くすよ」と答えた。

 この日僕等が走った道はリグーリア海岸。透き通った海。波しぶきに煙る道。変化に富んだ海岸線。最高に気持ちが良かった。景色がエネルギーをくれるのか、普段の僕のペースと比べるとかなり早いペースで走っていくステファノに着いていくのが苦にならない。
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 驚いたことに目標にしていた七時半頃に、ジェノヴァの街の端に着いていた。心地よい疲れと達成感を感じながら、「やれば出来るもんだね」みたいなことを言っていたら、最後に試練が待っていた。ホステルの主人の話しによると最後の2kmが上り道とのことだったのだけど、2kmを過ぎた後も上れども上れども坂が続く(あとで地図を確認してみたら道を間違えていた)。ステファノが通りすがりのイタリア人に道を訊く。僕が「もうすぐだって?」と訊くと「上って上ってもう上らなくいいかなというところでもう数回上ったらそこがホステルだってさ」と彼は答えた。ホステルに着いたときは二人で歓声を上げた。自転車から降りると足が他人の足のようだった。

 出前のピザをとり、かぶりついた。日本にいるときだったら二日連続のピザは遠慮したいとこだけど(ちなみに昼もピザのようなフォッカチアだった)、疲労と空腹がスパイスになって文句なしに美味しかった。
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 翌朝、ステファノはトリノを目指して旅立った。一緒にいたのがたった二日間だったのが信じられないほど、彼には親しみを感じていた。別れ際、彼もまた「See you in Japan」と言った。ずいぶん昔に感じた記憶がある懐かしい寂しさを感じた。来てくれたらめいっぱいもてなそうと思う。
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部屋に戻るとイタリア国旗とメッセージが置いてあった。僕はこういう最後のひと押しに本当に弱い。
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47日目の走行距離約97km(ロカ岬からの走行距離2699km)。
48日目の走行距離約133km←新記録!(ロカ岬からの走行距離2832km)。

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さんふぃ

Author:さんふぃ
ポルトガルロカ岬から、日本に向かって主に自転車で旅行中です。

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