旅の現象学

2012年から2013年にかけてのユーラシア大陸自転車旅行の記録です。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 予定では、バラナシの後はそのまま東に進み、バングラデッシュの首都ダッカを目指すつもりだったのだけど、ビザの期限やバングラデッシュの政情などの理由から、北上してネパールの首都カトマンズを目指すことにした。

バラナシまではデリーとコルカタを結ぶ幹線道路をずっと走ってきたのだけど、このルートではそんなに大きくない道を通る。
DSC_1043.jpg

そして二日目、更に道は細く、ローカルな感じになっていき…。
DSC_1065.jpg

 最後には消えた。久しぶりにグーグルマップがやってくれた。ルート案内で出てきた道が完全にない。誰に地図を見せてもこんな道はないと言う。かなり大きめの縮尺でも表示される道なのに…。それじゃあどう行けばいいのかと聞くと、教えられた道は約50kmも遠回りで、しかも地図に載っていないどローカルな道だった。

 グーグルマップを恨みながらその道を走りだしたのだけど、走ってみるとそれが実に素晴らしい道だった。スペインを走っていたときもとんでもない山道を案内されたことがあったのだけど、その道も苦労はあれど素晴らしい景観の道だったのを思い出す。 グーグルマップ、ニクイやつめ。

延々と続く、麦畑の中を道は延び、
DSC_1088.jpg

ときどきこんなタイムスリップしてきたような集落が現われる。
DSC_1093.jpg

集落と集落の間には、人や家畜がのんびりとした足取りで行きかい、車やバイクは滅多に通らない。
DSC_1104.jpg

DSC_1109.jpg

 この道の雰囲気は、これまで僕がインドで感じてきたものと大きく違った。他の町で溢れていたゴミはほとんどなく(そもそも捨てるものがあまりないのだと思う)、車や多すぎる人が作り出す喧騒とは無縁で、人の声、動物の鳴き声、金物を叩いたり、麦を叩いたりする生活の音が、それぞれ独立して空気の中に漂っていて耳を掠めていく。

 何より不幸せそうな人を一人も見なかった(他のインドの道で不幸せそうな人をいっぱい見たという訳ではないけど)。たぶんここに住んでいる人はそんなに多くの大切なものを持っていないけど、その代わりに数少ない大切なものをしっかり大切にしている。そんな風に感じた。全てがあるべき場所にあるような光景が流れていき、走ってるだけで何故だか涙腺がゆるむ、そんな道だった。

DSC_1103.jpg

 日が暮れかけた頃、後輪がパンクした。ただでさえ時間がなくてあせってきていたのに、追い打ちをかける事態に途方にくれながらも、道の脇に自転車を横倒しにして修理を始めた。道を通る人は皆、止まって、話しかけてきたり、興味深そうに見てくるから、すぐにちょっとした人だかりが出来た。僕は苦笑いをしながら「パンクチャー」とか言いながら、作業を続ける。

 焦りと疲れから思うように修理が進まず苦労していると、バイクに乗ったおじさんが自転車屋に連れて行ってあげるから、車輪を持って乗ってけ、と言う。その間、自転車はその場のおじさん達が見てくれるという。自分で修理をすることも出来たし、自転車をその場に置きっぱなしにするのは不安だったけど、その時の僕は誰かに頼ってしまいたい気分だったので、少し迷った末にお願いした。

 自転車屋に着き、修理をお願いしている間、おじさんがジュースとサモサをご馳走してくれた。おじさんはあまりしゃべらない。皆が訊いてくるような、どこから来たかとか、何人なのかとかそういうことも訊いてこない。ただ僕が質問をすると短く答えてくれる。修理が終わり、僕が自転車屋さんにお金を払おうとすると自転車屋さんは微笑みを浮かべたまま首を横に振った。僕は繰り返し、お礼を言って、再度、おじさんのバイクの後ろに乗って、自転車を置いてある場所まで戻った。

パンクを修理してくれた自転車屋さん。
DSC_1136.jpg
 
 横倒しにした自転車の前ではさっきのおじさん達がそのままぼーっと立っていた。僕がお礼を言うと、しわだらけの顔に微笑を浮かべ、ゆっくりと頷く。彼らの中に流れている時間はとてもゆったりしたもののように思える。写真を撮っていいかと訊くと、快く承諾してくれたので、何枚か撮っていると、バイクに乗せてくれたおじさんが諭すように「暗くなるから、急ぎなさい」と言った。僕は再度、お礼を言って走り出した。

左がバイクに乗せてくれたおじさん。他は自転車の前で待っててくれたおじさん達。
DSC_1140.jpg

 その後、大きな道路に抜け、近くの街のホテルに止まった。この日走った道は、今、書くために思い出してみても、柔らかい麦畑の色合いと相まって、何となく夢だったかのような印象がある。地図にも載ってないし。

 次の日からは再び、ネパール国境に向かう比較的大きな道を走った。前日の道ほどではないにせよ、デリーからバラナシまでの道と比べると、人がゆったりとしている印象で、特に子供達が僕を見かける度、「バーイ」と言って手を振ってくれることがすごく多くなったのが印象的だった。

DSC_1149.jpg

 バラナシを出発して五日目の夜にネパール国境のあるスノウリという町に到着した。インドは結局約三週間走った。広大で深いインドを少しつまみぐいしただけだと思うけど、何か心の今まで揺さぶられたことのないところを揺さぶってくるような国だった。

206日目の走行距離約99km(ロカ岬からの走行距離9658km)
207日目の走行距離約87km(ロカ岬からの走行距離9745km)
208日目の走行距離約60km(ロカ岬からの走行距離9805km)
210日目の走行距離約100km(ロカ岬からの走行距離9905km)
スポンサーサイト
 バラナシはガンジス河畔のヒンドゥ教の一大聖地。全ての罪を洗い清めるというガンガーで沐浴するために、亡くなった親族を火葬場で燃やしガンガーに流すために、インド中から多くの人が集まるこの街は、これまでの道のりで僕が感じてきたインドのインドらしさが一段階濃く凝縮されているような街だった。

 着いた翌日は、春の訪れを祝って色水をかけあったり色のついた粉を塗り合ったりするホーリーというヒンドゥ教の大きなお祭。水かけはぴちゃぴちゃ掛け合ったりする可愛いものではなく、屋上からバケツで狙ったりと、本当に容赦がないので、外を歩いている人は警官や巡礼者みたいな人を除いて、皆、びしょびしょの色まみれになる。

勇気を出して外に出るとゾンビ映画のような光景。
IMG_0530.jpg

こんなになりました。まあいい話のたねにはなった。
IMG_0534.jpg

 バラナシは多くの旅行者が集まる街だけど、観光名所というものはあまりない。僕も滞在中は、ほとんどガート(階段のようになっている河岸)とその周りの路地が入り組んだ区画を散歩していただけだった。しかし、例えばアーグラ―はタージマハルとアーグラ―城を一度見たら、それで満足して去ることが出来るのだけど、バラナシではいくらガンガーを眺めていても何かをまだ見ていない、そういう感覚が残る。それで後ろ髪を引かれる思いで滞在が一日延び、更に自転車のパンクでもう一日延び、結局この街に四日間滞在した。

以下、主にガンガーの写真。

朝、沐浴する人達。
DSC_0896.jpg

洗濯をしたり、体を洗ったり。聖なる河だけど、同時に生活の舞台でもある。
DSC_1033.jpg

ボートに乗って岸を眺める。
DSC_0876.jpg

DSC_0837.jpg

対岸は打って変わって静かで何もない空間が広がっている。
DSC_0862.jpg

毎夜、一番大きなガートではプジャというヒンドゥ教の儀式をやっていて多くの人が集まる。
DSC_0986.jpg

DSC_1021.jpg

インドの他の街と同じように、ここでも犬や猿や牛やヤギが好き勝手に生きている。犬の寝かた一つとってもインドは今まで通ってきた他の国とは一味違う。彼らは道の真ん中でも縮こまることなく、ばたんと横倒しで死んだように眠る。動物たちの何事も受け入れているかのような泰然自若とした様子は、インド人のそれとかなり重なり合う。動物が人に影響されてこうなったのか、あるいはインドの何かが人間にも動物にも同じような影響を与えてこうなっているのか、それは分からないけど、彼ら動物たちがインドの独特の空気感を作るのに一役買っているのは間違いない。
DSC_0913.jpg

DSC_0924.jpg

 ガンガーは聖なる河なのに河岸にはゴミが堆積し、生活用水は垂れ流し。すぐ上の方の河岸では二十四時間休むことなく火葬場で遺体が燃やされ、灰が河に流されている。まだ十分に生きていないとされる子供の遺体などは燃やされることなく、そのまま重りを付け河に沈められている。ヒンドゥ教徒はそうすることで輪廻から解脱することが出来ると信じているからだ。そんな河に当たり前のように全身を浸し、更に体を洗ったり、洗濯をしたりするインド人を見ていると、今までの自分のものの見方や感じ方が少し相対化される感じがした。

 泊まったゲストハウスで、イスタンブールの日本人宿ツリーオブライフの黄金時代を一緒に過ごした二人と再会したのだけど、その内の一人が言った「インド人は僕達と見ている世界が違うんじゃないか」という言葉が印象に残っている。僕は最初、子供と大人で見ている世界が違うとか、そういうレベルのことを言っているのかと思ったのだけど、もっと深いレベル、極端に言えば網膜レベルで違うんじゃないかという話だった。インド人の聖なるものとの向き合い方や死生観に、想像の及ばないものを感じていた僕は、あるいはそうなのかもしれないと思った。その考えはこれまでの旅を通して、色々な文化に生きる人達の中に、違いよりもむしろ共通することを多く見出してきた僕には新鮮だった。

 上の方に書いた、ガンガーをいくら眺めても、そこにある何かを見れていない感覚もそこにつながっているのかもしれない。ただ、ガンガーを眺めていると、その正体が分からなくても、大きな何かが目の前にあるという不思議な安心感がある。多くの旅人がこの街に引きつけられる気持ちが分かった気がした。

DSC_0890.jpg
 アーグラ―を出発すると、次の目的地はガンジス河畔のヒンドゥー教の一大聖地バラナシ。約600km離れているのだけど、5日後、3月27日にあるインド最大のお祭り、ホーリーの前日までに到着したかったので、一日平均120kmのかなりのハイペースで走り抜けた。

インドの道では自転車乗りやバイク乗りが横に並んできて話しかけてくることがめちゃくちゃ多い。時にはレースを挑んでくることもある。僕は丁重にお断りするけど。
DSC_0596.jpg

この人はバイクなのに20km以上並走して、その間インドや日本の話を色々した。
DSC_0637.jpg

インドの道では他のどの国よりも、短いインターバルで町や集落が現われる。地方のそんなに大きくない町でも中心部はこの人だかり。しかも一人ひとりがよそ行きの衣に自分を包むことなく、むき出しの状態で生きているから、町に充満しているエネルギーがすごい。
DSC_0489.jpg

町で自転車を止めようものなら、大人も子供もわんさか寄ってくる。ちなみにインドというと物乞いの多さをイメージする人も多いと思うけど、観光地を離れるとお金目当てでこちらに近づいてくる人はほとんどいない。皆、純粋な好奇心で近づいてくる。
DSC_0510.jpg

DSC_0512.jpg

DSC_0513.jpg

毎日、最高気温は30台後半。そこかしこにある日本の駄菓子屋みたいな売店がオアシス。清涼飲料水が美味しすぎた。
DSC_0474.jpg

店番やお客さんとのコミュニケーションからも力をもらう。
DSC_0589.jpg

食事は大抵、町の屋台かロードサイドの飲食店。これは屋台の食べ物。値段は10ルピー(約17円)。
DSC_0611.jpg

ロードサイドの飲食店ではダールという豆のスープとチャパティーという薄いパンの組み合わせが定番。これで大体50ルピー(約90円)くらい。
DSC_0508.jpg

トラックの運転手が仮眠をとったりするロードサイドの飲食店は、野戦病院のような趣がある。
DSC_0506.jpg

安全面からインドでは野宿をしたくなかったので、毎日ホテルを探していたのだけど、インドは観光地以外の町ではホテルがとても少ない。しかもホテルと名前がついているのに実際はただの飲食店というパターンも多くてかなり苦労した。ホテルがないところでは警察に泊めてもらった。
DSC_0547.jpg

ホーリーを控えて、色めく夜の街並み。
DSC_0634.jpg

 賑やかなインドの道には宝物みたいな瞬間がたくさん転がっている。例えば、水をくみ上げるポンプの前にしゃがんで眉間にしわを寄せながら洗濯をしていたお母さんがふと顔を上げて、表情を柔らかくし手を振ってくれた時、地面に何かを書いていた女の子が僕を見つけ、野性的な反射神経で駆け寄ってきて、手を振り「バーイ」と連呼してきた時、そういう予期せぬ瞬間、枕元にどこかの誰かが置いてくれたサプライズプレゼントを見つけたような、嬉しく優しい気持ちになる。

 ホーリー前夜、いたるところで爆竹が鳴り響き、道に煙が充満する中、バラナシに無事到着した。

197日目の走行距離約118km(ロカ岬からの走行距離9077km)
198日目の走行距離約79km(ロカ岬からの走行距離9156km)
199日目の走行距離約145km(ロカ岬からの走行距離9301km)
200日目の走行距離約130km(ロカ岬からの走行距離9431km)
201日目の走行距離約128km(ロカ岬からの走行距離9559km)
 インドに着いて四日目、取りあえず約200km先のタージマハルがあるアーグラ―を目指して走り出す。

路肩が固められていないから、ところどころ砂埃がすごい。
DSC_0161.jpg

途中、デリー郊外にあるクトゥブ・ミーナールというイスラム教の遺跡に寄った。無骨な赤い岩と細かいレリーフの組み合わせが新鮮で、見応えのある遺跡だった。
DSC_0176.jpg

今まで走ってきた国では、町と町の間では車が走っているだけだったのだけど、インドの道では人影が途切れない。道が町と町を繋ぐだけの線ではなく、生活の舞台になっているのを感じた。
DSC_0214.jpg

 インドを自転車で走るのは、結構不安だった。最近話題になっている中国よりも更にひどい世界一の大気汚染、カオスな交通状況、狂犬病を持っているかもしれない野良犬…いくつかの不安要素があったのだけど、実際に走ってみると意外に平気そうだった。空気は確かに悪いけど、郊外に出てしまえば耐えられなくない。交通状況はルールなんて何もないような状況だけど、インドのドライバーは、めちゃくちゃなインド人自転車乗りや道の真ん中で平気で寝そべる牛を避けることに慣れているからある意味安全。野良犬はいたるところにいるけど、大抵人や自転車に慣れているから他の国と比べても追ってくることが少ない。

 翌日、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神信仰の聖地、マトゥラーという街に着いた。ちょっと見て通過する予定だったのだけど、面白そうな街だったので一泊した。

インドの町は小さな町でも中心地に行けば、祭りをやっているような人口密度と喧騒に出くわすのだけど、この街は更に人がひしめきあっている。
DSC_0253.jpg

ヤムナー川を遊覧するボートに自転車ごと乗せてもらった。
DSC_0272.jpg

街の喧騒を離れ、遠くから沐浴をする人達や、建物の屋上伝いを駆け回る猿の集団を眺めていると、自分がこれまで身を置いたことのない文化圏の中に身を置いているのだということを、改めてしみじみと感じた
DSC_0281.jpg

夜も喧騒は続く。
DSC_0305.jpg

翌日、出発前に散歩。
DSC_0337.jpg

デリーを初めて歩いた時は、牛を見る度に「おぉ、牛だ」と感心していたものだけど、牛は本当に笑っちゃうくらいどこにでもいて、のびのびと好き勝手なことをやっている。神聖だからと丁重に扱われているかというとそういう訳でもなく、牛とインド人の関係は威厳を失った父親とその家族のような印象がある。道端のマーケットの野菜を勝手に食べようとし、棒で叩かれのそのそと退散する姿にシンパシーを感じる日本のお父さんは多いと思う。
DSC_0357.jpg

DSC_0361.jpg

 アーグラ―に到着すると既に夕方だったので、次の日にタージマハルやアーグラ―城を観光した。

定番すぎるこのアングル。
DSC_0406.jpg

 タージマハル、綺麗だったし、決して期待していたよりしょぼかった訳でもないのだけど、実物を自分の目で見たという満足感以外の感情はあまり湧いてこなかった。思うに初めて写真で見てわくわくした時点でこの建物との出会いはすでに終わっていたのだと思う。こういう感想になるだろうことは来る前から予想していたのだけど、もしかしたらタージマハルならその予想を越えてくれるかも、という気持ちもあったので、やっぱり少し残念だった。

きれいなのは間違いないけど。
DSC_0403.jpg

ムガール帝国の城塞、アーグラ―城。
DSC_0431.jpg

タージマハルを建てたシャー・ジャハーンは晩年、息子にこの城砦に幽閉され、妻の墓であるタージマハルを毎日眺めながら死んでいったらしい。
DSC_0445.jpg

193日目の走行距離約67km(ロカ岬からの走行距離8810km)
194日目の走行距離約90km(ロカ岬からの走行距離8900km)
195日目の走行距離約59km(ロカ岬からの走行距離8959km)
 インドに着いて最初の三日間は、観光したり、こまごまとした用事を片づけるためにデリーを散策した。

初めに歩いた新市街は緑がとても多く、しっかり区画整理がされていて、混沌とした街並みを想像していた僕は少し驚いた。
DSC_0054.jpg

まあしかしニューデリー駅前のメインバザールに来ると、予想していた通りの街並み。ここは世界からバックパッカーが集まる安宿街でもある。
DSC_0074.jpg

オールドデリーのジャマーマスジット付近のバザールは更に人が多く混沌としている。
DSC_0126_2.jpg

DSC_0124.jpg

街にはサイクルリキシャー(自転車のタクシー)やオートリキシャー(三輪自動車のタクシー)が無数に走っていて、歩いているとしょっちゅう乗っていかないか、と声をかけられる。案の定かなりしつこい。
DSC_0101.jpg

交通渋滞がひどい中心地でリキシャーに乗ると、日本だったら大ひんしゅくが起こるようなニアミスが一分に一回は起こり、ただ移動しているだけなのに遊園地のアトラクションに乗っているようなスリルがある。なかなか楽しかったのだけど自転車で走るのがだいぶ不安になった。
DSC_0092_2_20130424041852.jpg

 路上をわがもの顔で歩く牛、ルールなど何一つ存在しないような混沌とした交通状況とクラクションの嵐、ゴミ箱と化した路肩、道の脇で寝たり、体を洗ったり、立ちションしたり色々好き勝手やっているインド人。大体どれも本や他の旅人の話から知っていたことで想像通りと言えば想像通りの光景だったのだけど、実際にその中に身を置くことで感じられるエネルギーは想像していた以上に新鮮で、色々な人が言っているように確かにここでしか体験できない何かがこの国にはある気がした。

 あとインド人は嘘つきが相当多い(特にデリーは)という話を散々聞かされていたから、かなり警戒していたのだけど、実際はそんなでもない。道を訊けば正しい道を教えてくれるし、買い物時に高いお金をふっかけてくることもあまりない。
 リキシャーなどに乗ると、相場より高めの値段を言われたり、最初に交渉した金額に更にプラスしてお金をくれ、ということはよくあるけど、それだってこちらを金ヅルとしか思っていないからかというと、そうではなくて、あわよくば多めにもらってやろう位の感覚なのだと思う。「暑い中、がんばったからもう10ルピーくれ」とか「子供の教育のためにもう20ルピー」とか、ずるをしようとする子供のような素朴な表情で言われると何か許せてしまう。もちろんいつも要求どおりに払う訳ではないけど。

 それに彼ら自身が緩いルールに生きている分、他人に対してもおおらかなところがあり、多少こちらがけんか腰になっても彼らは大抵緩く受け止めてくれる。だからこそ日本ではけんかなんて出来ない人も、リキシャーの運転手と料金をめぐって口論し、またそれを良いお土産話として日本に持ち帰ることが出来るのだと思う。日本では解放できない自分をインドの緩さの中で解放することが出来るのも、多くの人がインドを好きになる一つの理由なんじゃないかと思う。

 僕は実際に来る前はインド人を好きになる自信があまりなかったのだけど、案外、好きになれそうな気がした。

サイクルリキシャーのおじさん。自分のことを「ノー・ドロボー、ノー・ドロボー。ヤスイ、ヤスイ」と連呼してた。目的地に着いた後でプラス20ルピーくれと言ってきたけど。
DSC_0103.jpg

 ちょっと前の記事にも少し書いたのだけど、インドに来たい、という気持ちがだいぶ薄れていた状態でこの国に来た。でも実際にデリーの街を歩いてみると、これからこの国を走るのが楽しみになった。もちろん色々と不安はあるのだけど。

より大きな地図で 旅の現象学 を表示

さんふぃ

Author:さんふぃ
ポルトガルロカ岬から、日本に向かって主に自転車で旅行中です。

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。