旅の現象学

2012年から2013年にかけてのユーラシア大陸自転車旅行の記録です。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
シーラーズは大きな庭園や公園がたくさんある、緑が多い美しい街だった。
IMG_0411.jpg

世界遺産に登録されているペルシア式庭園、エラム庭園。
IMG_0432.jpg

イランを代表する詩人、ハーフェズの廟。
IMG_0439.jpg

 さて、シーラーズからはバンダレアッバーズというペルシア湾に面した港街まで行き、そこからドバイにフェリーで渡ろうと思っていたのだけど、そのフェリーに乗るのが思っていたよりも面倒くさく、またそこまで安くもなかったので、国際空港のあるこの街からドバイもしくはデリーまで直接、飛ぶことを考えた。

 それで飛行機に自転車を載せれるか、またそれにお金がいくらくらいかかるかを訊こうと、イランの航空会社のオフィスに行ってみたのだけど、まずフライトの価格を聞いてびっくりした。約8千円。一番確実に安い航空券を探せると評判のスカイスキャナーの何と3分の1以下の価格だった。経済制裁の影響か、イランの通貨レアルの公定レートと市場レートには三倍近い開きがあるのだけど、おそらくスカイスキャナーでは公定レートが適用されているのでこうなっているのだと思う。イランを旅行する予定で、イラン国内の航空会社を利用する人はスカイスキャナーを使わず、直接、現地のオフィスや旅行会社でチケットを取ることをおすすめします。その分の現金を持参することもお忘れなく。

 そもそもイラン国内のオフィスではクレジットカードが使えず、残りの手持ちのお金では確実に買えないと分かっていたので、オフィスでは話だけ聞き、海外のネット経由でクレジットカードが使えるスカイスキャナーでチケットを買うつもりだったのだけど、値段に差がありすぎるので、何とかクレジットカードでお金を引き出す方法がないかをオフィスの人に訊いてみた。そうしたらこのオフィスの人達を始め、親切な人達に助けられまくって、翌朝のフライトでドバイに行けることになってしまった。

 まず窓口の女性が銀行に連れて行ってくれたのだけど、海外から送金してもらうことはやはり現状出来ないらしく、どうにもならない。銀行から出るとその女性は申し訳なさそうに「これは私たちの問題だから」と謝り、足りない分は私が払う、後で返してくれればいいからと言う。僕は驚いて、借りたとしてもイランのあなたにそれを返せる保証がないし、そこまで負担をかけることは出来ない、そもそもこれは全然あなた達の問題じゃないから、と伝えた。そこまでしてもらう位なら、高くても当初考えていた通りスカイスキャナーでチケットを取ればいいと思ったし、そうじゃなくてもエスファハーンで買ったカメラを中古店に売れば、ここで買うためのチケット代を作れる気がしていた。僕がそれを伝えると、その女性は色々考えてみるからそれは最後の手段にして、と言う。
 
 僕がチェックアウトのために、一旦ホテルに帰り、再度オフィスに戻ると、彼女は航空会社の本社にディスカウントのチケットを発行できないか、何軒ものホテルにクレジットカードが使えないか、などいろいろなところに電話してくれている最中だった。待つこと約10分、遂に彼女は笑顔で「ここのホテルがカード、使えるって」と僕に受話器を渡した。僕は喜び、電話を受け取ったのだけど、話を聞いてみるとそのホテルでクレジットカードが使えたのは少し前までの話で今は使えないらしい。しかしそのホテルの人は何とか出来ると言うので、話を聞くと、結局私がお金を貸すよ、ということだった。僕はさっき窓口の女性にしたのと同じ説明をしたのだけど、その人はお金は海外の銀行口座に送ってもらえばいい、とにかくここに来なさい、と言うので僕はそのホテルに行くことになった。

 電話を終えると、僕は窓口の女性にとりあえずホテルに行くと伝えた。しかしお金の問題が解決したとしても、自転車を飛行機に乗せるための分解・梱包という大仕事が残っていて翌朝のフライトに間に合うかは分からなかった。それでチケットの発券はまだ待ってほしい、と伝えたのだけど「大丈夫。自転車は私たちが手伝うから」と彼女は言い、チケットは発券されてしまった。

 ホテルはシーラーズで一番高級な五つ星ホテルで、電話で対応してくれた人はそこのマネージャーだった。オフィスで話をすろと、その人は前に、タイに旅行していたときに自分も同じようなことを経験したんだ、だから遠慮しなくていい、と言う。それで結局お金を借りることになった。今夜はどうするのか、訊かれたので、空港で泊まろうと思います、と伝えると、それならこのホテルのロビーにいればいい、夜はたぶんpraying room(イスラム教徒が祈るための部屋)で寝ることも出来るし、朝も空港まで行く車を手配しよう、と言うので、僕はそれにも甘えることにした。

 お金を借り、航空会社のホテルに戻ってみるとびっくり。オフィスにいた男性二名のおかげで、何と自転車や荷物のパッキングが終わってる。窓口の女性は冗談なのか本当なのか「彼らはパッキングエンジニアなのよ」と言って微笑んだ。
IMG_0467.jpg

 ここまでやってもらいながらも僕はほとんど恐縮することがなく、ただただ感謝の気持ちだけを感じて幸せな気分だった。彼らの表情は、めんどくさいことになっちゃたな、とか仕方なくやっているということを全く感じさせず、僕はそこから善意しか読み取ることが出来ない。そういう表情は幸せそうだし、それを向けられた方も幸せだ。

アセマン航空オフィスの皆さん。
IMG_0469.jpg

 オフィスを出ると、再びホテルに向かった。夕食をごちそうになり、夜はpraying roomで寝た。管理のおじさんが丁寧に布団まで持ってきてくれた。翌朝、シーラーズ国際空港までホテルのタクシーで送ってもらい、無事、飛行機に乗ることが出来た。

お世話になったホーマ・ホテル。
IMG_0483.jpg

 実は前日、街を散策中にちょっと嫌なことがあった。若い男が通り過ぎ際に、おどけた口調でチンチャンチョン(アジア人の蔑称のようなもの)と言ってきたのだ。それを蔑称と意識しないで使う人もいるし、それまではあまり気にしてこなかったのだけど、美しい街を静かに楽しんでたときに耳に入ったその言葉は無性に僕の気分を悪くさせた。その後ももやもやした気持ちのまま街を歩き、若い人がくすくす笑っているのを見ると、それが自分に向けられたもののような気がして落ち着かなかった。

 イランでは本当に素晴らしい出来毎が多かったから、そういう気持ちを引きずったままこの国を去りたくないなと思っていたのだけど、このフライト関連のごたごたでイランの人の暖かさにたくさん触れ、胸いっぱいのありがとうを感じながら去ることが出来た。

約二時間のフライトでドバイに到着。
IMG_0489.jpg

 僕は結構頭が固いので、このブログはあまり固くならないようにしようと実は頑張っているのだけど、イラン編もおしまいなので、最後に固くなるのを承知で少し書く。

 イランでは人の親切に触れる機会が圧倒的に多かった。でもイラン人が皆、いい人かと言うともちろんそうではなくて、僕もカメラ泥棒とかさっき書いたチンチャンチョンの若い男とか、腹立つ人に会うことも結構多かった。
 
 僕がこの国で素晴らしい、羨ましいと感じるのは、いい人がいい人として生き続けることのハードルの低さだ。どこの国にもいい人はたくさんいるし、まあ極論、良い心は人間皆が持っているものなのかもしれない。でもその良い心に素直に従って生きるのはなかなか難しい。人間関係の駆け引きにもまれるうちにいつの間にか損得勘定で考えることに慣れてしまったり、ちょっとした親切をするのにも相手の顔色を伺い、裏に何かあると考えられてしまうのではないかと恐れ尻込みするようになったり。きっと日本にも他の国にも、そんな風にして埋もれてしまっているいい人はたくさんいると思う。

 この国ではそういう風に人の良い心を埋もれさせてしまう力が弱く、いい人が素直にいい人として生きているように感じた。吉野弘さんという詩人に「夕焼け」という、胸がつんとするようないい詩がある。引用はしていいか分からないし、内容を説明すると長くなるので興味がある人はネットで検索するなりして是非読んでほしいのだけど、この詩に出てくる娘がうつむかずに席をゆずることが出来るのがこの国の美しさなのだと僕は思う。
スポンサーサイト
エスファハーンを出発すると、次に目指すのは約500km先のシーラーズ。美しい庭園やイランを代表する詩人ハーフェズやサアディーが生まれ育った場所として有名な街。6日間で到着するはずだったのだけど、途中、春一番のような立っているのが辛いくらいの強風の日が続いたりで、結局8日間もかかってしまった。

この区間の道の写真。大きな縮尺の地図で見るとイランは平坦な国のように見えるけど、実は結構山が多い。走った人の話から、この区間の道の景観にはそんなに期待していなかったのだけど、岩肌がむき出しの山に囲まれた道を走っていると大地の大きさを実感できてとても気持ち良かった。
IMG_0269.jpg

IMG_0285.jpg

IMG_0304.jpg

IMG_0308.jpg

IMG_0313.jpg

道の写真おしまい。
IMG_0342.jpg

この区間はキャンプ泊がほとんどだった。イスタンブールを出発してから最近まで、寒さのためにめっきりキャンプは減っていたのだけど、最近は初春のような気候であまり寒さを感じずにキャンプが出来るようになってきた。キャンプはやっぱりいい。テントの中にいると、小学生の頃、初めて自分の机を買ってもらい、自分だけの小さな場所を持ったときに感じたのと似たわくわく感を覚える。
IMG_0310.jpg

シーラーズまでの道のりでもたくさんの親切なイラン人のお世話になった。カメラを盗まれて以来、どうしても警戒感が強くなって、声をかけられたときに返す表情が硬くなってしまっているのが自分でも感じられたのだけど、いい人に会う度にその表情が、だんだんと解きほぐされていくのが感じられた。以下は特に印象に残った三人。

車を停めて話しかけてくれたおじさん。何度も家に来てくれと誘われたのだけど、時間的にどうしても厳しかったので断ると、食料品店に連れていかれて、ジュースや牛乳やお菓子を買って僕にくれた。
IMG_0295.jpg

建設中の建物の影でキャンプをした翌朝に、僕のテントを発見し朝食をごちそうしてくれた建設現場を管理しているお兄さん。
IMG_0279.jpg

パーキングエリアで出会ったトラック運転手のマフムードさん。彼も自転車で長距離旅行をする人で、何と僕がこれから走る予定のインド、東南アジアを数か月前に走っていたので役に立つ情報をたくさん聞くことが出来た。彼と会ったときには既に日が暮れていたので、その夜は簡易ベッドが二つもある広いトラックの中に泊まらせてもらった。
IMG_0324.jpg

シーラーズまで100km位の道のりには有名な古代遺跡がいくつか点在している。
IMG_0346.jpg

こちらはナグジェ・ロスタム。クセルクセスやダレイオスといったアケメネス朝ペルシアの王達の墓。
IMG_0362.jpg

小学生達が遠足に来てた。僕を見つけたときの「ハウアーユー?」の大合唱がすごかった。
IMG_0352.jpg

アケメネス朝ペルシア帝国の都、ペルセポリス。ガイドブックなどではイラン観光の一番の目玉になったりしているけど…。
IMG_0381.jpg

僕が一番印象に残ったのはゴミ箱の多さだった。
IMG_0383.jpg

シーラーズに到着。街の入り口にあるクルアーン門。この門の上には旅の安全を祈願して手書きのコーランが置かれているらしい。
IMG_0446.jpg

177日目の走行距離約40km(ロカ岬からの走行距離8283km)
178日目の走行距離約77km(ロカ岬からの走行距離8360km)
179日目の走行距離約100km(ロカ岬からの走行距離8460km)
180日目の走行距離約62km(ロカ岬からの走行距離8522km)
182日目の走行距離約80km(ロカ岬からの走行距離8608km)
183日目の走行距離約101km(ロカ岬からの走行距離8709km)
184日目の走行距離約33km(ロカ岬からの走行距離8742km)
エスファハーンに着いた翌日は、保険の申請に必要なカメラ盗難の証明を貰うために警察に行って、カメラ屋さんを周って新しいカメラを物色しただけでほぼつぶれてしまった。結局、カメラは一番安い約7,000円くらいのコンパクトデジカメを買った。ここがイランでなければ、クレジットカードで一眼レフを買っていたところなのだけど、イランでは経済制裁の関係でクレジットカードも国際キャッシュカードも全く使えず、更に日本からお金を送ってもらうことも出来ないので、基本的に使えるお金は入国前に用意したものだけ。その用意したお金が割とぎりぎりだったのでそれを買うのが精いっぱいだった。これからイランに行く人は、不測の事態にも対応出来るよう、ドルをかなり多めに持っていくことをおすすめします。

翌日から、新しいカメラを持ってエスファハーンを歩いた。エスファハーンと言えばまずは何と言っても、エマーム広場。昔の人はこの広場が故にこの街を「エスファハーンは世界の半分」という言葉で称賛したらしい。今の時代を生きる僕からしたらさすがにそれはおおげさだと思ったけど、それでもとても良い場所だった。豪華で優美なイスラム建築を背景に広大な芝生の上で、ピクニックをしたり、ボール遊びをしたり思い思いの過ごし方をしているイラン人を見ていると、この場所が今も彼らの中で豊かに生き続けていることが感じられる。
IMG_0117.jpg

IMG_0131.jpg

エマーム広場の四方には、それぞれ歴史的な建築物がある。下の写真は南側に位置するイランのイスラム建築を代表すると言われるマスジェデ・エマームのエイヴァーン(入口のアーチ)とドームの内装。
IMG_0035.jpg

IMG_0055.jpg

こちらは東側に位置するマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー。外装、内装共にタイルワークが圧巻だった。
IMG_0127.jpg

IMG_0103.jpg

北側に位置するかつてエスファハーンの経済の中心だったバザール。イランのそこそこ大きな街にはどこにもバザールがあって、どこも似たような雰囲気なのだけど、それでもやっぱり新しい街のバザールを歩くのは楽しい。狭い路地の先に何が待っているのか分からないからわくわくする。
IMG_0190.jpg

夜のエマーム広場。ライトアップがきれいだったのだけど、コンデジだとやっぱりうまく撮れない。
IMG_0148.jpg

新しい街並みも、緑が多く、人々の活気に溢れていて歩くのが楽しかった。
IMG_0008.jpg

さて、前回の更新から間が空いてしまったのは、10日ほど前にイランがネット規制を強化して、これまではVPNを使うことでアクセス出来ていたブログにアクセスが出来なくなっていたためです(今はすでにイランを抜けてドバイにいる)。色々書くことがたまっているので、今後2、3日で更新していけたらと思っています。
 アブハルを出発して二日目、その日泊まる予定だったサーヴェーという街に入ると、信号でシャラムさんという日本語を話すおじさんに声をかけられて、またしても家に泊めてもらえることになった。

夕食にはラーメンをごちそうになった。
DSC_8647.jpg

子供達も器用に箸を使う。
DSC_8646.jpg

 このシャラムさん、近くに完全に独力で自分の家を建てているということなので、翌日、完成が近いその家を見せてもらった。実際、見てみるととても一人で作ったとは思えない大きさときれいさでびっくりした。庭は日本式庭園にするという。日本にいるときに、テレビ番組でそういうことをしているおじさんを見て以来、ずっと夢だったらしい。「あなたと同じ。自分がしたいことのために体を動かすのはすばらしい」とシャラムさんは言っていた。

シャラムさんと作っている途中の家。
DSC_8658.jpg

 ここに来るまでに思っていたよりもだいぶ日数を使ってしまっていたから、ここからは最短距離でエスファハーンを目指すつもりだったのだけど、シェリムさんいわく、少し遠回りでもゴムとカーシャーンという町を通るルートの方が全然面白いよ、とのことなので、そのルートでエスファーハーンを目指すことにした。この「少し遠回り」が全然少しではなかったのだけど…。

シャラムさんの家を出発し、夜にゴムに着いた。イランではマシュハドに次ぐイスラム教の第二の聖地。
DSC_8684.jpg

翌日は一日ゴムを観光した。壮麗なマスジドはかなり見応えがあった。
DSC_8709.jpg

DSC_8748.jpg

DSC_8738.jpg

DSC_8821.jpg

DSC_8817.jpg

 翌日、出発しようとすると、後輪のタイヤがパンクしていた。それが何度やってもうまく直らないので、途方にくれて宿の人に近くに自転車屋がないかと訊くと、その場にいた親切なおじさんが車で連れて行ってくれた。ただのパンクじゃないことを自転車屋さんに伝えたかったのだけど、おじさんも自転車屋さんも英語が全くと言っていいほど通じないので、おじさんの携帯電話を借りて、アブハルのアフマドさんに電話した。四日ぶりにアフマドさんと話をすると、彼は本当に家族のように僕のことを心配してくれていて胸が熱くなった。彼に日本語で状況を伝えて通訳してもらい、自転車屋さんにタイヤを調べてもらうと、何とも恥ずかしいことに、内側に小さな金属片が二つも埋め込んだままになっていた。先端が少ししか見えていない状態だったから見過ごしていたらしい。

 修理が完了し、修理代と足りなくなっていたので買うことにしたパンク修理セットの代金を払おうとすると、自転車屋さんに連れてきてくれたおじさんが自分が払うと言って引いてくれない。ここまで連れてきてもらって、電話も使わせてもらったので、むしろお金を払おうと思っていたのに結局、払ってもらうことになってしまった。本当にイランの人の親切さには頭が下がる。

 パンクが無事直ると、ゴムを出発し、この日はカーシャーンという長い歴史を持つオアシス都市まで走った。本来であれば、そこまでの道のりやカーシャーンの街並みの写真をアップしたいところなのだけど、後で書く理由のためそれが出来ない。カシャーンは日干しレンガで造られた街並みや、昔の大富豪が建てた豪華絢爛な邸宅の繊細なレリーフなどが印象的だった。
 
 さて、ここからエスファハーンまでの道のりが色々と大変だった。まずシャラムさんから120kmくらいと聞いていた道のりが実際は210kmくらいあった。海外の人に目的地までの距離を訊くと、大抵、実際よりも短い答えが返ってくるのだけど、それにしても今回の実際とのかい離は過去最高だった。この区間は一日で走るつもりでこのルートを選択したのだけど、とても走れる距離じゃない。それでカシャーンを出発した日は約70km地点でキャンプをした。

 翌日、エスファハーンまでの距離は残り約140km。長い距離だけど、シャラムさんから道はほとんど平坦か下り坂と聞いていたので、がんばれば夜までには着くだろうと思って出発したのだけど、それが甘かった。出発から50kmくらい延々と緩やかな上りが続き全然スピードが出ず、事前のイメージとのギャップに心が折れそうになった。正直、道中シャラムさんのことを結構恨んだ。

 日が暮れかかった頃、トラクターの運転手がエスファハーンまで乗っていくか、と誘ってくれた。その時点でエスファハーンまでの距離は約80km。ぎりぎりまで迷ったのだけど、結局、自分で走れるところは走りたいという想いが勝って断った。その日の内に着かないことも覚悟の上だったのだけど、そこからすぐの地点から今度は長く緩やかな下り坂が始まり、何とか11時くらいにエスファハーンに到着した(普段はそんなに遅くまで走ってないです。念のため)。やれば出来るじゃん、車、乗らないで良かったと思いながら、宿に向かって走っていたのだけど、最後に落とし穴が待っていた。

 あまりにお腹が空いていたので、宿に着く前に何か食べようと、ファストフードショップの前に自転車を停めていると、若い男が人懐こい笑顔で一緒に写真を撮ろうと話しかけてきた。イランに入ってからこれまでも頻繁にあったことなので、僕は特に何も考えずカメラを取り出したのだけど、何とその男はカメラを掴んで陽気に「ホダ・ハフェズ!」(ペルシャ語でさよなら)と言い、そのまま走り出した。僕も慌てて追いかけたのだけど、男はすぐ近くに停めてあった別の男の車に乗って走り去ってしまった。ナンバープレートの番号を覚えようにも、ペルシャ語表記のためそれも出来なかった。途方にくれつつも、その時点ではどうしようもないので、とりあえずサンドイッチを食べ、宿に向かった。着いたときには心身共に疲れ果てていた。
 
 そんな訳でこの記事の後半は写真がないです。不幸中の幸いで、三日前にカメラのデータをPCに移していたので、被害はカメラ本体とゴム以降の写真だけで済みました。

167日目の走行距離約102km(ロカ岬からの走行距離7738km)
168日目の走行距離約99km(ロカ岬からの走行距離7837km)
169日目の走行距離約78km(ロカ岬からの走行距離7915km)
171日目の走行距離約104km(ロカ岬からの走行距離8019km)
172日目の走行距離約71km(ロカ岬からの走行距離8090km)
173日目の走行距離約143km(ロカ岬からの走行距離8233km)
ミヤネを出ると次の大きな町はザンジャーン。

ミヤネ付近の道は荒々しく岩肌を露出した山に囲まれた景勝ルート。
DSC_8309.jpg

二日目の夕方頃にザンジャーン近くを走っていると、写真のセメントのブロックを作っている作業場の人達にチャイを飲んでけと呼び止められ、そのまま左のマザハールさんの家に泊めてもらえることになった。
DSC_8323.jpg

マザハールさんの家で夕食をごちそうになった後、彼の両親の家に連れて行ってもらいチャイとフルーツを囲んでの団らんに混ぜてもらった。マザハールさん以外はほとんど英語が分からないから談笑は当然ペルシア語なのだけど(ときどき僕に質問が飛んできたりして、マザハールさんが通訳してくれる)、全く彼らの言語を理解しない僕がいても、場の空気は柔らかく自然だった。僕が自分の家族や友達の輪の中に外国人の友達を招待するとしたら、こうはいかないと思う。こちらが人間としての常識を守っている限り、彼らを疲れさせることはないと思えるから、僕は安心して彼らのもてなしを受けることが出来る。
DSC_8342.jpg

DSC_8359.jpg

 翌朝、朝食をごちそうになった後、ザンジャーンを出発し、その日の目的地のアブハルという町を目指して走った。夕方、この日は大きな出来毎もなく静かに終わりそうだったので、夜は宿でイランでのこれまでの出来毎をゆっくり振り返ってみようと思って走っていたら、またしても素敵な出会いが待っていた。
 残り10km程のところで通りかかった車に乗っていた青年に話しかけられたのだけど、彼のおじさんは昔日本にいたことがあり日本語を話すと言う。僕は彼に勧められて電話で彼のおじさんと話をした。優しい声で流暢な日本語を話すアフマドという名のそのおじさんは、もう十年以上前に栃木で運転手として働いていたらしい。アブハルの彼の家に来てほしいとお誘いを受け、僕はお邪魔させてもらうことにした。アブハルまでの残り10kmの道のりを、こういう出会いが驚くほどの頻度で起こるこの国に思わず笑い出しそうになりながら走った。

奥がアフマドさんで手前がお兄さんのムハマドさん。ムハマドさんも昔日本で働いていから日本語を話す。
DSC_8461.jpg

 このアフマドさんの家での滞在が最高に居心地がよく、かつ刺激的だったので彼と彼の家族に勧められるままに三日間も滞在してしまった。
 その三日間で、アフマドさんやムハマドさんに連れられるままに、彼らの親類の家、友人の家、自身や兄弟が働いている職場などさまざまな場所に行き、老若男女たくさんのイラン人と会ったのだけど、その度に彼らの表情や振る舞いの自然さに心を打たれた。前回の記事にも書いたことだけど、彼らの言葉や声や表情は、相手に自分をこう見せたいとか、こう思われたくないとかのノイズに邪魔されず、感情とかなり率直に結びついている。だからその言葉や声や表情を向けられる相手(僕も含む)は、本当はこの人何を考えているのだろう、と考えたりすることなく額面通りにそれを受け止めることが出来る。そんな彼らの人と人の間に厚い壁を感じさせないコミュニケーションは親密で暖かい。

いとこの金物店でいとこやお客さんと話すムハマドさん。
DSC_8496.jpg

 アフマドさんやムハマドさんとイランの話、日本の話、宗教と人生の話などを日本語でたくさんすることが出来たのもすごく刺激的だった。考えさせられる話が沢山あったけど、中でも一番印象に残っているのはドライブ中にモスクに通りかかった時にアフマドさんとした以下のような会話。
「アフマドさんはどれくらいの頻度でモスクに行くんですか?」
「私はほとんど行かないよ」
「でも神様は信じてるんですか?」
「それは当然だよ。皆そうでしょ」
「日本には神様を信じていない人はたくさんいますよ」
「それは口でそう言っているだけだよ。だって神様がいないと生きていかれない」
 神様を信じることと生きることを分け難いものとして捉えているその言葉が深く印象に残ったから、もっと色々聞いてみたくてその夜、もう一度この話題で話をした。「口で言っているだけじゃなくて本当に神様を信じていない人、いっぱいいると思いますよ」と僕が言うと、アフマドさんは驚いた表情で「そう、それは重いねぇ」と言った。
 ちなみにこの話をしているとき、奥さんはカメラをこちらに向けて、にこにことずっと動画を撮っていた。

アフマドさんと奥さん。
DSC_8465.jpg

 今日は絶対に出発しようと決めていた四日目、朝から出発までアフマドさん達の素朴で純粋な優しさにずっと包まれていた。朝食にムハマドさんの奥さんが持ってきてくれたスタミナを付けるようにと作ってくれた牛の頭を丸ごと使ったスープと、にんにくの漬物のようなものをたくさんいただき、アフマドさんの奥さんが日差しで荒れた僕の手と顔のためにフェイスクリームとハンドクリームをプレゼントしてくれ、さらに自転車に荷物を詰みにいこうと外に出ようとすると、フルーツをいくつも手に持って駆け寄ってきて僕に手渡し、外に出るとアフマドさんが僕のヘルメットを濡れタオルで磨いていて、その横にはずっと掃除しないで泥がこびりついていたはずのリアバックがきれいな状態で並べてあって、ムハマドさんが更に自転車も掃除しようと言うので僕も手伝いながらこの旅始まって以来の洗車をしていると、アフマドさんとムハンマドさんのお母さんが手のひらいっぱいの飴を持って外に出てきて僕に手渡しなぜか「ありがとう」と言い、ムハンマドの奥さんはコーランとお椀に入った水を持ってきて、安全祈願のおまじないをしてくれた。胸がいっぱいなのに次から次へと彼らの優しさが絶え間なく押し寄せてくるからどうにも涙が止まらなかった。

最後の朝食。
DSC_8557.jpg

牛の頭のスープ。スタミナ満点。
DSC_8551.jpg

ピカピカになった自転車とアフマドさんとムハマドさんの息子。
DSC_8564.jpg

アフマドのお母さんとお姉さん。
DSC_8562.jpg

コーランでのおまじない。
DSC_8566.jpg

皆さんに見送られて出発!
DSC_8572.jpg

ピカピカになった自転車は軽く、走るのが空を飛ぶよりも気持ち良く思えた。

161日目の走行距離約57km(ロカ岬からの走行距離7477km)
162日目の走行距離約64km(ロカ岬からの走行距離7541km)
163日目の走行距離約95km(ロカ岬からの走行距離7636km)

より大きな地図で 旅の現象学 を表示

さんふぃ

Author:さんふぃ
ポルトガルロカ岬から、日本に向かって主に自転車で旅行中です。

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。