旅の現象学

2012年から2013年にかけてのユーラシア大陸自転車旅行の記録です。

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実は世界三大料理に数えられていたりするトルコ料理。そんなにお金をかけないで食べられるごはんの種類が多かったので、トルコでの食生活はこれまでの旅で一番豊かだった。そんなトルコの食事を今まであまり紹介出来ていなかったので、この記事でまとめて紹介します。

まずはロカンタと呼ばれるトルコの大衆食堂の料理から。どんな小さな町にも一軒はあり、値段も安いので、僕が一番お世話になったのがこのロカンタ。

ロカンタではカウンターにこんな感じで食べ物が並んでる。指さしで注文出来るので言葉が分からなくても大丈夫なのがありがたい。
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どこのロカンタにも置いていて、一番安いのがスープ(トルコ語ではチョルバと言う)。食べ放題のパンが付いてくるので、これだけでお腹いっぱいになれる。ちなみにトルコのパンはめちゃくちゃおいしい。旅人の間では世界一という声も多い。

たぶんトルコのスープで一番ポピュラーな、メルジメックというレンズ豆のスープ。
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イシュケンベという牛の胃袋が入ったスープ。好き嫌いが分かれるくせのある味だけど僕は好きだった。
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ピラウというバターライスのようなごはんも大抵のロカンタに置いてある。お願いするとプラス1~2リラ位(約50~100円)で写真の用に豆を乗っけてくれたりする。
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もちろんケバブ屋さんもたくさんある。日本ではトルコのドネルケバブが有名だけど、トルコにはたくさんのバリエーションのケバブがある。

こちらはオーソドックスなドネルケバブをピタで巻いたもの。ぶっちゃけドネルに関してはギリシャの方が美味しいと思った。左の飲み物はアイランという塩気のある飲むヨーグルトのような飲み物。トルコではとてもメジャーでどこにでも置いてある。
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ピラウの上にドネルケバブを乗っけたもの。
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アダナケバブという、スパイスで味付けしたひき肉を串に刺して焼いたケバブ。これはトルコで初めて食べたのだけどとても美味しかった。
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こちらはピデと言うトルコ風のピザ。
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黒海沿いの地域では魚もよく食べる。こちらは一番よく食べられるイワシ(トルコ語ではハムシと言う)を揚げたもの。
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イスタンブール名物サバサンド。ガラタ橋近辺に店がたくさん並んでる。実はサバはノルウェー産らしい。
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この写真の食べ物が、僕がトルコで食べたもので一番美味しかったのだけど、名前を訊くのを忘れた。チーズを混ぜ込んだトマトベースのソースをパンに付けて食べる。後でトルコ人の友達に聞いたところによると、一部の地域でしか食べれない知る人ぞ知る食べ物らしい。サムスンとユンエを結ぶ道のどこかに専門店があるので機会があったらぜひ食べてみてください。
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お菓子もとても美味しい。ただトルコ特有のお菓子は基本的にシロップ漬けなので、ものすごく甘い。カロリーもかなり高いと思う。

バクラヴァというナッツを挟んだパイ生地にシロップを浸みこませたお菓子。食感が最高。噛むとサクッとした生地からじゅわっとシロップが浸み出してくる。
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こちらはキュネフェ。春雨を平らに固めたような生地の間によく伸びるチーズを挟んで焼き上げたお菓子。シロップの甘さとチーズのコクの絡みが絶妙。上に乗っているのはカイマックという牛乳から作るバターのような濃厚なクリーム。
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以上、トルコの印象に残っている食べ物たちでした。
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引き続き、グルジアを目指して黒海沿岸を走っていく。

道は相変わらず平坦で走りやすい。それにも関わらず、100kmを越えて走った日が一日もないのは、前回の記事に書いたような理由で、町を歩いたり、宿でゆっくりしたりしながら考え事をする時間が欲しかったから。
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この数日間は人の親切にいつも以上に恵まれていて、色々な場所でチャイやごはんをごちそうになった。その中でも極めつけがこの食堂のおじさん。
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僕が一番安いピラウ(トルコのバターライスみたいなもの)に煮豆をかけたものを頼むと、「これは俺からだから」とジェスチャーで示しながらどんどんおかずを乗っけてくれた。更に、このおじさんの友人達がデザートやチャイをどんどん持ってきてくれる。お会計をしようとしても「いいから、いいから」と結局タダ。僕が「テシェクレデリム、テシェクレデリム」(トルコ語のありがとう)と何度も言いながら去ろうとすると、まあ待てと、最後におじさんから手渡されたのが、この地域の名産である2~3キロ分のヘーゼルナッツ。これが出てきたときは笑ってしまった。
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さすがにこれを積んで自転車で走るのは気が引けた。だけど「少しでいいんだ」と伝えても、「ノープロブレム、ノープロブレム」とおじさんは受け付けない。「自転車に積めないんだ」と伝えても、おじさんの友人がくくりつけるためのロープを持ってくる。それで結局、押し切られてもらうことになってしまった。一人ではとても食べ切れないので、これから各地で少しずつ配って回る予定。

そんなおじさんとおじさんの友人達と記念撮影。
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更に数日走り、トラブゾンという大きな街に着く。実は約一か月前、バスでこの街に来ている。その時はイスタンブールからテヘランまでをバスで移動するつもりで、イランビザを取得しやすいこの街で事前に取得しておく必要があったからだ。まさか一カ月後に自転車で来ることになるとは思わなかった。
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ゆっくりとはいえイスタンブールからここまで毎日休まずに走ってきたし、この街にはベンリホテルという一泊15リラ(約750円)の格安ホテルがあるから、そこに二泊していくことにした。

トラブゾン二日目は、郊外にある標高約1,200mの切り立った断崖に張りついているような修道院、スメラ修道院に行った。
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トラブゾンからグルジア国境までは200km弱。途中、お茶の産地として有名なリゼなどを通過しながら進んだ。

この辺の道は黒海と崖に挟まれていて、崖からは小さな滝がたくさん流れ落ちていた。雨続きで天候には恵まれなかったけど、空気もおいしく、走っていて気持ちがいい道だった。
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イスタンブールを出発して17日目、ようやくグルジア国境近くのアルハビという町に着いた。
何やかやで一カ月半以上も滞在してしまったトルコ。人も風景もごはんもいつか必ず懐かしくなりそうな気がしている。

138日目の走行距離約72km(ロカ岬からの走行距離6524km)
139日目の走行距離約91km(ロカ岬からの走行距離6615km)
140日目の走行距離約60km(ロカ岬からの走行距離6675km)
142日目の走行距離約81km(ロカ岬からの走行距離6756km)
143日目の走行距離約83km(ロカ岬からの走行距離6839km)
イスタンブールを出発し、十日目にようやく黒海に出た。黒海沿岸は標高の高い内陸部と比べてとても温暖な気候で、内陸の厚着では暑さを感じる程。
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気候だけではなく、道も非常に走りやすい。アップダウンの少なさ、途切れない街灯、広い路肩と自転車で走るにはこの上無い道がずっと続く。
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さてこの黒海沿いを走っている内に、内陸を走っている間から、おぼろげに感じていた疑問がだんだんとはっきりとした形を取り出した。それは自転車旅行が果たして今の自分に適した旅のスタイルなのかという疑問。だいぶ前の記事でも書いたように、僕は自転車で走っている時の、流れていく景色と一緒に思考がジャズのアドリブみたいに変化していく感じが好きなのだけど、しばらく自転車をこいでいない間に自分に色々な変化があり、今自分が向き合うべきことがどうもそういうやり方で向き合えないんじゃないかと感じるようになっていた。

黒海沿いを走りだして三日目、そんなことを考えながら走っていると、道の右側の建物の庭を囲む柵を越えて、ピンクのサッカーボールが飛んでくるのが見えた。ボールは道と建物の間の取りに行くのが面倒くさそうな溝に落ち、結構なスピードで自転車をこいでいた僕は、そのまま走り去りそうになったのだけど、思い直して引き返し、ボールを拾い、柵の向こうの女の子に投げ返した。そうしたら窓からそれを見ていたおじさんが僕を手招きし、誘われるままに建物の中に入るとそこは食堂のような場所で、おじさんの好意により、たっぷりのごはん(デザート付き)をごちそうになることになった。
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食事を待っている間に、英語を喋れる女性が僕の前に座り、サッカーボールを蹴っていた女の子を含め何人かの子供達が興味深そうにその周りを囲んだ。女性にこの場所のことを聞くと、孤児院であることを説明してくれた。
 
ごはんを食べ終わった後も子供達はテーブルを囲んでいたので、僕はこんな状況の定番アイテム、折り紙を取り出し、なぜか子供達がこれを折りたいと言ったヘビを教えながら一緒に折ることにした。
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ちょっと難易度の高いヘビを、教えながら一緒に折るのは思ったよりも時間がかかり、途中で子供達は授業で去らなければいけなくなってしまい、僕はその後も子供達が完成させられなかった六匹のヘビを完成させるべく、しばらく食堂に残り続けた。その間、孤児院の先生、マネージャー、食堂のおばちゃん、警備員など色々な人達がお菓子やお茶をもってきて、話しかけてくれた。本当に暖かい場所で、子供達からも、働いている人達からも相当大きなエネルギーをもらった。

未完成のヘビを持って記念撮影。
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たっぷり三時間くらいをその孤児院で過ごした後、出発し、「そうだ、こういう偶然の出会いが俺が自転車旅行を続ける理由なんだ」と意気揚々と自転車をこいでいたのだけど、この日は旅の神様が僕に微笑んでいたようで、これだけでは終わらなかった。次の町で買い物をしようとスーパーの前に自転車を停めていると、スクーターに乗ったおじさん(後で僕と大して変わらない年齢だと判明するのだけど)が話しかけてきて、僕が日本から来たと言うと「そう、どこ?」と関西弁のイントネーションで尋ねてきた。びっくりしながら訳を訊くと、彼は数年間日本の建設現場で働いていたのだと教えてくれた。彼の働く事務所に寄ってくように誘われ、そこでラーメンと何と日本の缶コーヒー!をごちそうになりながら、これもまた日本語を流暢に話す彼の兄弟と友人(後で聞いたところによると、ファトサというこの町は色々な経緯があって日本に出稼ぎに行ったことのある人がすごく多い町らしい)と一緒に色々な話をした。宗教から下ネタまで実に色々な話を日本語でしたのだけど、言葉の壁がなくなってしまえば、彼らがあんまりにも僕達と似た人間であるということに僕は深い驚きと感動を感じた。彼らは郷愁を込めて、青年期を過ごした日本の思い出を語り、「次日本に行くときは家族を連れてくの?」と聞くと、「えっ、一人がいいよ。だって自由に遊べないじゃん」としれっと答える。
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その後、レストランでおいしい肉料理をごちそうになった。僕の奥にいるのが声をかけてくれたIsaさん。何と僕と同い年です。彼の年齢を訊いた時、あぁ俺もいい年なんだなぁとしみじみ感じてしまった。
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たらふく肉料理を食べた後、後から隣のテーブルにやってきた家族が、僕を彼らのテーブルに誘い、彼らが頼んだ魚料理を食べるよう何度も何度も勧めてくる。英語がほとんど通じないので、僕は勧められる度に、お腹いっぱいというジェスチャーをしながらも、ちょっとだけ食べさせてもらっていたので久しぶりにもうこれ以上食べられないというくらいお腹がふくれた。言葉はほとんど交わさず、彼らはもくもくと食べ続けていたけど、僕が目を合わす度におじさんはにっと笑い、女の子はくすっと笑う(これがとてつもなく可愛い)からきまずい感じが全くしなかった。
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優しい何かにずっと包まれていた一日だった。その全てはピンクのサッカーボールが飛んできたことから始まっている。孤児院を通るのがほんの少しでも遅かったり、早かったりしたら、そのボールは飛んでこなくて、この日は全く違う一日になっていたと思う(それはそれで素晴らしい一日だったかもしれないけど)。これまでの旅路でも、そんな世界が自分に向かってすっと手を伸ばしてくれているようなときが何度かあった。僕はそれを奇跡のように感じる。陳腐かもしれないけどこれはしっくりくる実感だからしょうがない。そしてこの類の奇跡が、ごく一部の人にごく一部の時にしか訪れない、というものではないということも、ここまで旅を続けてきて実感している。他の旅行者には他の奇跡が訪れるし、旅行してない人にも気付きにくいかもしれないけどそれは訪れる。要は世界にはたくさんサッカーボールが飛んでるのだと僕は思ってる。

ただ僕がこのサッカーボールを奇跡だと感じれているのは、自分の足で進んだ道でそれに出会っていることによるところが大きいとも思っている。だから僕はそのサッカーボールを追いかけて、もうしばらくは自転車で走り続けてみようかとこの一日を振り返ってみて思った訳です。

135日目の走行距離約121km(ロカ岬からの走行距離6370km)
136日目の走行距離約53km(ロカ岬からの走行距離6423km)
137日目の走行距離約29km(ロカ岬からの走行距離6452km)
少年の家を出発した後、取りあえずボルという大きな町を目指したのだけど、思っていたよりも登りがしんどく、予定よりも到着が遅れたため、そのまま泊まってゆっくり町を歩いていくことにした。

ボルに限らず、トルコのそんなに大きくない規模の町を歩いているとノスタルジーが湧いてくる瞬間がよくある。建物の作りや雑然としたものの並べ方がどことなく昭和の日本の町を喚起させるし、歩いていてふと流れてくる煮物の匂いやお香の匂いがまた日本的でノスタルジーを誘う。
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モスクのある広場から見下ろした町の中心部。
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次の日も長い登りが続く。高度が上がるにつれ、視界を占める雪の量が増え、途中から完全に雪景色になった。登りがしんどく、ところどころ路面が凍結している個所もあったので、途中からもういいやと半分以上の道程を自転車を押して歩いていた。そんな訳でこの日も50km程度しか進めなかった。

この日はここまでの旅で一番の夕焼けが見れた。高度もだいぶ上がっていてこの時間はかなり寒かったけど、もったいなくて暗くなるまで眺めていた。
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次の日、しばらく進むとこの道の最高点(1325m)に到達。この直後、数キロ続く長い下り坂があり、そこでこの旅の最高速68.5kmが出た。ある速度を境に風の音が変わり、神経が研ぎ澄まされる。一瞬、ニルヴァーナの影が見えたような…。
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最高点を越えると、以降は下りや平坦な道が多くなり、進むほどに気温も上がってくるので一気に楽になった。

以下、数日分の道の写真。
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道の写真おしまい。
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居心地の良い日本人宿に沈没した後の冬の旅なので、さびしさに打ちのめされないか少し心配だったのだけど、一日に二三回チャイに誘ってくれる気のいいトルコ人達のおかげか大丈夫だった。
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イスタンブールを出て八日目に、黒海まで80km程のハブザという温泉街に到着。イスタンブールで唯一満たされなかった温泉に浸かりたいという願望がここで叶った。泉質も温度も申し分なく、おまけに6リラ(約300円)のマッサージと垢すりが最高で溜まっていた疲れが一気に取れた(気がした)。
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寒さや路面凍結をかなり警戒していた区間だったけど、全然走れない道ではなかった。走ることを選んで良かったと、改めて思った。

128日目の走行距離約43km(ロカ岬からの走行距離5843km)
129日目の走行距離約55km(ロカ岬からの走行距離5898km)
130日目の走行距離約68km(ロカ岬からの走行距離5966km)
131日目の走行距離約69km(ロカ岬からの走行距離6035km)
132日目の走行距離約44km(ロカ岬からの走行距離6079km)
133日目の走行距離約77km(ロカ岬からの走行距離6156km)
134日目の走行距離約93km(ロカ岬からの走行距離6249km)
再出発初日、元旦と二日で走ったイズミットまではバスで移動し、夕方、自転車をこぎだす。ちょっと心配だった膝も順調。やっぱり前回は、単に急に使いすぎたことで一時的に痛くなっていただけらしい。出発初日は二三時間軽く走り、イズミットから30km程の地点のガソリンスタンドで泊まった。

二日目は朝早くに起きて走り出す。内陸の高地に向って、ゆっくりと登っていく。
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100km程走った時点で日が暮れてきたので、泊まる場所を見つけようと走っていると、マウンテンバイクに乗った中学生くらいの少年に話しかけられ、そのまま家に招待され、食事をごちそうしていただき、下のガレージにテントを張らせてもらえることになった。

家に招待してくれたフルカン君。
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ボレクというトルコ料理を作ってるお母さん。
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料理が出来るのを待ってる間は少年と少年の妹と折り紙で遊んだりしていた。
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食事の後、いただいたチャイを飲みながら、僕は旅の最初の頃に感じていた見返りを求めない親切に対しての驚きを伴った感動が、何度か似たような経験をする内に大分薄れていることを感じていた。少し寂しい気もしたけど、出来毎の新鮮さが薄れるのは当然と言えば当然なので、まあそんなものだろうと思いながらチャイをすすっていた。

飲み終えると、少年がもう一杯飲むかを尋ねてきた。僕はトルコ語でありがとうを言い、少年からおかわりをもらった。すぐにお母さんが静かな動作で、テーブルの端に置かれた小皿に盛られた砂糖をそっと僕の方に置きなおす。僕がまたありがとうと言うと、お母さんは柔らかく微笑んだ。そのとき、僕はこの家に招待されて初めて、暖かいものが自分の中に込み上げてくるのを感じた。

それをきっかけにどうやら閉じていた感受性が開いたらしい。自分が読んだ本を次々に見せてくる少年の表情、ガレージにテントを張るときに何も手伝えないのにとことこ付いてくる女の子の様子、お父さんのウインク、それらに触れる度、やさしいものが自分の中に浸み込んでくるのを感じた。でもそれらは僕が気付く前からそこにあったものだと思う。

テントの中でその意味について考える。
出来毎の新鮮さは何度も似たようなことを経験する内に当然色あせていく。でもその出来毎の細部には決して色あせえないものがある。ただそれは、出来毎の新鮮さほどダイナミックに心をノックするものじゃないから、自分が心を開いていなければ見過ごしてしまう。今回砂糖をくれたお母さんの微笑みに出会う前の僕はそうだった。

これは旅だけではなく、日常についてこそより強く言えることだと思う。日常において繰り返すことの単調さは旅をしているときよりもはるかに力強く僕に対して影響力を持っていて、僕はそれに飲み込まれがちだ。でもその中に埋もれさせてしまっている色あせないものにアンテナを向けて生きていければ、旅が終わっても、旅をしているように生きていくことが出来る気がした。今の時点でそれが出来るかは正直分からないけど、とりあえずそこに気付けて良かった。

翌日、まだ日が昇っていない六時半に学校に行く少年を見送り、工事現場務めで朝帰りのお父さんを待ち、一緒に朝食をとった。
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パンを石油ストーブの上で焼く。
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朝食後はお父さんと娘さんに見送られて、ボルと言う街に向けて出発!
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126日目の走行距離約32km(ロカ岬からの走行距離5702km)
127日目の走行距離約98km(ロカ岬からの走行距離5800km)

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さんふぃ

Author:さんふぃ
ポルトガルロカ岬から、日本に向かって主に自転車で旅行中です。

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