旅の現象学

2012年から2013年にかけてのユーラシア大陸自転車旅行の記録です。

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 大阪を出ると、友人達が歓迎会を開いてくれる横浜に6日後に着くことを目指して走った。

予定では、ずっと国道一号を通って横浜に向かうつもりだったのだけど、友人のすすめもあって、途中伊勢に寄った。
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 伊勢はとても好きな場所の一つになった。街全体を包むゆったりとした空気、古い建物の土産物屋や飲食店が並ぶおかげ横丁のにぎわい、伊勢神宮の樹木の厳かさ。でも何よりもいいなぁと感じたのは泊まっていたゲストハウスの風見荘。海外の観光地には大抵あるドミトリーのゲストハウス、日本だとユースホステル以外ではあまりないと思っていたのだけど、どうもここ何年かで増えてきているらしく、ここもその一つ。オーナーさんのこだわりや愛情が随所に感じられる空間で、特に自然と旅人同士が仲良くなれる共有スペースが素晴らしかった。日本の人達も色々な国から来ている人達も皆、和気あいあいと楽しそうだった。オーナーさんもとても面白く、しばらく住み込みで働きたくなったくらい。世界で色々泊まってきた宿の中でも最も好きな宿の一つになった。

風見荘。
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風見荘の中。
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伊勢を出ると、今治から渥美半島にフェリーで渡った。
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渥美半島を抜け、浜松あたりで国道一号に合流。
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 このあたりから東京までの国道一号はかなり思い出深い道だったりする。高校生最後の春に一度、大学生のときに二度、僕はこの道を自転車や徒歩で通った。それぞれの時代の色合いに染まった記憶として、僕はときどきその道のりを思い出す。旅の最後に日本を走りたいと思ったとき、この道を走ることが念頭にあった。

 実際に走ってみると、特別に深い感慨が湧く訳ではない。ああそう言えばこんな道だったな、そろそろ海が見えるだろうな、ここでうどん食べたな、とかそんなことを思いながら走るだけだ。でも何年か後、この記憶はこれまでこの道を通った時とはまた違った色合いに染まっていて、僕はそれを懐かしく思い出すことになるのだろう。

由比付近の道。
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どこかの浜辺。
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 大阪を出発して5日目、翌日の夕方に友人達が横浜でゴールテープを用意してくれることになっていたので、この日の内に絶対箱根を越えておきたいと思っていたのだけど、箱根の手前、三島に着いたときには空が暗くなり始め、更に雨も降り出したので、迷った末にその日は三島に留まることにした。横浜までの距離はまだ約100kmも残っていて、しかも箱根越えもある。友人達のゴールテープに間に合うかは結構なチャレンジに思えたけど、ゴールテープを切る前に思いっきり走るのも悪くないと思った。

翌日、早起きして峠に向かって走り出す。これが正真正銘最後の大きな峠。これまでの旅でも何度かそうしてきたように、てっぺんまでずっと止まらずにペダルを回し続けようと決めて、登り出す。
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 登っていると雨がぽつぽつと降り始め、次第に本降りになった。これまで僕は二回、箱根を自転車で越えているのだけど、そのときも雨が降っていたことを思い出して、苦笑いした。二回とも半分以上は自転車を降りて押していた。しかし今回はまだまだ登れる余力がある内に最高点を示す標識が見えた。

箱根関所付近。
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 箱根を越えると、空も晴れ始め、都会の信号に煩わされながらも平坦な道を順調に走っていき、予定していた時間には少し遅れそうではあったけど、友人達が待っているゴール地点に着々と近づいていった。待っている友人達から絶対何かコメントを求められるだろうなと思って、走りながら何を話そうか考えていたけど、途中で止めた。旅が終わるというのはぎりぎりまで掴みどころのない感覚だった。しかし最後の数キロ、風がいつもより気持ちよく、空が少し高く感じられて、僕はそれを能天気に祝福のように感じながら走った。
 
 友人達が用意してくれたゴールテープは、僕にひっかかることを心配した友人が僕が通過する手前で手を離したため、ひらりと僕の前を落ち、結局僕はテープに触れなくて、それが何か可笑しかった。それから皆の顔を見るとただただ笑った。その日は横浜の24時間営業の温泉施設で皆と語らったり、サプライズ企画に驚かされたりした。彼らと出会って、今の自分がいて、この旅があったんだなぁとしみじみ感じた。

夜の横浜みなとみらい。
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サプライズでもらったトロフィーと、このブログを本にしてくれたもの。これまでの人生で一番嬉しいプレゼントだったかもしれない。
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 翌日、友人達が去った後、僕にはまだ埼玉の家までの最後の道のりが残っていた。その日の内に帰ることも出来たけど、これで旅が本当に終わるのかと思うと虚脱感でなかなか走り出すことが出来ず、結局たった十数キロしか走れず川崎の東横インに泊まった。翌日の朝、ビュッフェ形式の朝食を一人で食べてると、朝食の係のおばさんと目が合い、おばさんは「余ったら破棄しちゃうのでたくさんお食べください」と言った。それをとてもいいと思った。

 川崎を出るとそのまま家には向かわずに、何か所か自分に縁が深い場所に寄り道をした。この旅の仕上げの最後のスパイスとして、辿る道のりの中にそういう場所を含めたいと思った。懐かしい場所で懐かしい匂いを嗅いだ後、家に向かって走った。何度か通ったことがある道が現れ、何十回も通ったことがある道が現れ、数えきれないほど通ったことがある道に辿りつく。道の光景は最後に見たときからほとんど何も変わっていない。懐かしいという感じはあまりなく、僕が旅している間も別の僕がこの道をずっと走り続けていたんじゃないかという気すらした。家に着き、ドアの前で「ただいま」と言うと、「ちょっと待ってて」と言う両親の声が聴こえ、少しするとドアが開き、クラッカーが鳴らされ、両親が「おかえり」と言った。

269日目の走行距離約52km(ロカ岬からの走行距離13173km)
270日目の走行距離約39km(ロカ岬からの走行距離13212km)
271日目の走行距離約87km(ロカ岬からの走行距離13299km)
272日目の走行距離約26km(ロカ岬からの走行距離13325km)
273日目の走行距離約101km(ロカ岬からの走行距離13426km)
274日目の走行距離約71km(ロカ岬からの走行距離13497km)
275日目の走行距離約83km(ロカ岬からの走行距離13580km)
276日目の走行距離約96km(ロカ岬からの走行距離13676km)
277日目の走行距離約15km(ロカ岬からの走行距離13691km)
278日目の走行距離約80km(ロカ岬からの走行距離13771km)

 近々、あとがきとか振り返り的なものを書くと思いますが、本編は一応、これで完結です。最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
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 松山からはしまなみ海道経由で本州に渡るべく、今治に向かった。

松山を走っている路面電車。
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 この先の今治、尾道、倉敷とかでも思ったことだけど、日本の地方の街はとても居心地がよい。圧迫感がある建物が少なく、人の数も首都圏と比べるとだいぶ少ないので、空間も時間ものびのびしている感じがある。商店街や町角には、歩んできた時間の流れとか人の想いを感じる店を多く見かける。東京でもそういう店はたくさんあるのだけど、どこか何かと闘っている窮屈そうなイメージがあったりする。それに比べ、地方の街ではそういう個性が力みなく生きているように感じる。立ち止まると方言が聴こえてくる。

今治からしまなみ海道に入る。しまなみ海道は四国と本州の間のいくつもの島を橋でつないだ道。こういう道を自転車で走れるのは世界でも珍しい。海外の人達にも人気なようで、多くの外国人が走っているのを見た。
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今治から大島に渡る橋からの風景。
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自然と人工物が調和した風景が続く。
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たしかにすてきな海です。
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 伯方島のローソンの前でお茶を飲んでると、おばあちゃんが寄ってきて、自転車の後ろに括りつけているマットを指さし「ちょっとお聞きしたいんですけど、この銀色のは何に使うの?」というかわいらしい質問をしてきた。世間話をした後で、次の島にある温泉の情報を教えてくれた。時間がゆっくりと流れているのを感じる。

しまなみ海道の写真を何枚か。
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 本当に素晴らしい道だったから是非また走りたい。

尾道から本州に上陸。
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 本州に入ってからは幹線道路(国道二号線)をメインに走った。日本に帰ってきてすぐの頃は幹線道路も懐かしくて楽しかったけど、やっぱりどこも大体似たような感じなので飽きてしまう。あと白線の外側が狭かったり、バイパスを避けなきゃいけなかったりで、これまで走ってきた道で一番と言っていいほど自転車にはアンフレンドリーな道だったからなかなか疲れた。

途中通った倉敷の風景。ここも住んでいる人が自分の街を大事にしているのがすごく伝わってくるいい街だった。
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 大阪に着くと、昔からの知人や旅の途中で出会った人の家を何日か渡り歩いた。三日目、知人宅から別の知人宅に移動するたった15kmくらいの道すがら、二人の方から施し(?)を受けてしまった。ワイシャツにスラックスというクールビズの服装に麦わら帽子をかぶったおじさんから「これでうまいもの食べなさい」と二千円をもらい、コンビニの前で話しかけてきたトラックの運転手さんから、飲みものやお弁当をもらう。知人宅に着いてその話をし「いやぁ、大阪の人達は本当に暖かいですね」と言うと、知人は笑って「それは靴のせいやろ」と言う。

これがその靴。日本から履いてきた靴がだめになったから、イスタンブールで買ったもの。五カ月ももたなかった。自転車は意外にも靴を消耗する。
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 そんな訳で家に帰るまではこれでいいかなと思っていた靴を買い直した。麦わら帽子のおじさんから頂いた二千円はその足しにさせていただきました。本当にありがとうございました。
 
 久しぶりに昔からの知人に会うと、懐かしさもあって自分は彼らのことが好きなんだなぁとしみじみ思う。その人達が、このブログを読み、自分が旅で感じてきたことを思っていた以上に共有してくれていたことが分かって、とても嬉しかった。知人の一人が言ってくれた「君が旅しているということが俺の日常の中で一つの通奏低音になってたよ」という言葉が心に残っている。

 大阪を出るとゴールまで残り約500km。いよいよ旅も佳境の佳境になった。

260日目の走行距離約73km(ロカ岬からの走行距離12664km)
261日目の走行距離約60km(ロカ岬からの走行距離12726km)
262日目の走行距離約54km(ロカ岬からの走行距離12780km)
263日目の走行距離約55km(ロカ岬からの走行距離12835km)
264日目の走行距離約45km(ロカ岬からの走行距離12880km)
265日目の走行距離約54km(ロカ岬からの走行距離12934km)
266日目の走行距離約98km(ロカ岬からの走行距離13032km)
267日目の走行距離約64km(ロカ岬からの走行距離13096km)
268日目の走行距離約25km(ロカ岬からの走行距離13121km)
※長い間更新が滞っていてすいません。二週間ほど前にゴールして、その後はずっと府抜けていました。ちゃんと旅を終わらすためにもそろそろこのブログも完結させなきゃなと重い腰を上げた次第です。この記事を含めてあと2、3記事でゴールまでの道のりを更新していきます。今回は熊本から四国の松山まで。

 熊本市からは阿蘇に行き、阿蘇からはやまなみハイウェイを走り、湯布院などを経由して別府に抜け、そこから四国の八幡浜へフェリーで渡った。

 色々な国を走った後に日本を走ってみると、風景の情緒の深さに感動する。狭い土地の中に様々なバリエーションの景観が広がっていることもその理由の一つだけど、それだけじゃない。前回の記事とも被ることだけど、久しぶりに自分が育ったこの国に帰ってくると、目に映る様々なものに自分の記憶が染みついていることを感じる。具体的に思い出せる記憶から、もう原型を留めていない微かな感覚だけの記憶まで。例えばひなびた港町を見る。それを見て僕が感じることは、同じような港町で過ごしたときの思い出、その時そばにいた人の思い出、ひなびた港町が登場するいくつもの物語、歌、絵、それらについて思ったこと、それらに対して色々な人が語っていたこと、そんな無数の記憶の堆積から生まれているのだろう。

 様々なバリエーションの景色が、二十数年間、僕がこの国で生きてきて貯め込んできた様々な記憶が入った引き出しを開けていく。あるいは開けずともノックしていく。それがこの国の風景に僕が感じる情緒を生み出している気がする。きっとスペインの人もイランの人もインドの人も、そこで育った人にしか分からない情緒をその国の風景に見出すのだろう。その情緒は記憶への愛情に近いものなのかもしれない。僕はずっと故郷というものにこだわりがなかった。でも今は愛することの出来る記憶があるこの場所が僕の故郷だと感じる。まあそこから逃げ出したい黒歴史も結構あるけど。

 以下、今回のルートの写真ダイジェスト。

熊本市にあった懐かしい感じの踏切。
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阿蘇のパノラマ。
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阿蘇中岳の火口。
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緑の牧草地帯がずっと続くミルクロード。最高の季節に来たと思う。
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途中寄ってみた黒川温泉。この辺は本当に温泉が多くて、一日一回はどこかの温泉に入っていた。
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黒川温泉の夜。
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日本有数のワインディングロードやまなみハイウェイ。後ろに見えるのはくじゅう連山。
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由布岳に向かっていく道。阿蘇から由布岳までの道は、この旅全体でも屈指の景観の道だった。日本は本当に豊かな国土を持っていると思う。
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湯けむりの街別府に着く。
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別府地獄めぐりの一つ、海地獄。地獄めぐりって変わった温泉に入れるのかと思っていたのだけど、入れないんですね。
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高台から眺めた別府市街。各所に湯けむりが見える。
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四国上陸。八幡浜の港近くの昭和からタイムスリップしてきたような建物。
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海沿いの道を走っていて見つけた。これを作った人達が目に見えるようで、心に染みてくる。
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愛媛西側の海岸の道、ゆうやけこやけラインで見た夕焼け。
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 夜、松山に向かって峠を登っていると、ゆるゆると僕の脇を通り過ぎていった車が路肩に止まり、おばちゃんが窓から顔を出して僕を呼びとめた。

「もうひと踏ん張りしないとね、町に出ないのよ。店、なかったでしょ?それでUターンしてきたのよ」

それでこんなものをもらった。
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 度々書いてきたことだけど、海外を走っている間、見知らぬ誰かが話しかけてくれたり、飲みものや食べものをくれたりすることから本当に大きなエネルギーをもらっていた。そして僕はそれが海外を旅しているからこそ得られる感覚だと思っていた。海外の人達に対して僕はどこか壁を感じている。外見も言葉も違う僕のことを彼らはどう見ているんだろう、こっちの文化的に何か変なことをしてないだろうか、そんな疑問が作る壁が常に自分の周りにあり続ける。その壁を越えて、誰かが手を差し伸べてくれることが僕はとりわけ嬉しかった。でも日本の人達に対して、僕はそういう壁を感じていない。だから今まで日本で誰かが自分に手を差し伸べてくれたとき、感謝はしてもどこか当たり前のことのようにさらっとそれを受け取ってきていた気がする。

 ユーラシアを走り終え、日本を走っていると、誰かが話しかけてくれたり、何かをくれたりすることが思っていた以上に多くて驚いた。彼らの中に僕は海外でそうしてくれた人達と同じ心を見る。そしてそれは僕に同じように力を与えてくれる。そういうことがあると少しの間、ハイテンションのWhat a wonderful world!状態になり、その興奮が去った後も、前より少しこの世界とここで生きていることを好きになっている。

256日目の走行距離約46km(ロカ岬からの走行距離12412km)
257日目の走行距離約54km(ロカ岬からの走行距離12466km)
258日目の走行距離約47km(ロカ岬からの走行距離12513km)
259日目の走行距離約74km(ロカ岬からの走行距離12587km)
 朝、フェリーは博多港に到着。だんだんと近づいてくる日本を甲板から眺めたいと思っていたのだけど、身支度をして甲板に出ると港はもうすぐそこ。空はどんよりとした曇り空。

博多港。おはよう、日本。
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 8ヶ月ぶりの日本では、まずイミグレーションの人の愛想の良さ、腰の低さが懐かしくそして新鮮だった。サービス精神のあるイミグレなんて、たぶん世界中探しても他にないと思う。預けていた自転車を無事に受け取り、外に出て走り出す。交差点では車が来なくても信号が赤なら皆が律儀に止まって青に変わるのを待っている。道路にはたくさんの車が走っているのにクラクションはほとんど鳴らされない。コンビニに入る。目新しいお菓子やアイスが目に止まる。日本の消費者に向けて作られたパッケージやコピーは、僕の食欲やら消費欲求やらに自分を手にするよう力強く訴えかける。僕は迷った末にスティックタイプのチーズケーキを手に取りレジに向かう。レジには元気なおばちゃんがいて、お客様に向けて作られた笑顔と声で僕に接する。それはただ型にはまった笑顔や声だとは感じられない。その笑顔や声の中に、僕は個人的な誠意のようなものを感じる。それが心地よい。僕もせいいっぱいの笑顔を作り、「ありがとうございます」と言って外に出る。それからまた走る。見慣れた形状の建物や看板、吉野家のお米の味、エトセトラ、エトセトラ…旅に出る前は空気のように当たり前のものだったいろいろなものに再会する度に、ああ僕はここで育ったんだな、という実感がしみじみと湧いてきて、にやにやしながら走る。

福岡の中州近く。
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 夜はイスタンブールで出会った、僕とは逆周りでユーラシア大陸を自転車で走った友人の家に泊めてもらった。日本も結構自転車で走っている彼と、埼玉までのルートを地図を見ながら一緒に考える。「阿蘇の方、いいですよ」と彼は言う。大きく広げた九州の地図を見ると阿蘇は福岡からずいぶん下の真ん中の方にあるから、僕は「思いっきり遠回りじゃん」と応える。「でも熊本まで大体100km、一日で行けますよ。阿蘇はそこからたった50km位だし」彼がそう言うのを聞いて僕は少し驚く。それから地図の縮尺を確認して初めて、九州が思っていたよりもずっと小さいことに気付く。旅以前と旅後で距離の感覚がだいぶ変わっている。自分の走ってきた距離の長さを具体的に感じた瞬間だった。それから改めて考えてみると、大した遠回りだとは感じなかったので、結局、阿蘇の方を走って、別府から四国にフェリーで渡るルートを走ることにした。

 熊本は福岡から一日で行ける距離だったけど、途中友人に会ったり、美味しそうなラーメン屋に寄ったりで二日かけて走った。特別に面白いルートではなかったと思う。でも久しぶりの日本の道を、僕はさまざまなものから故郷を感じながら走った。例えば案内標識に書かれている地名。日本の地名が僕の中に喚起するイメージは、海外の地名のそれと比べてとても重層的だ。海外の地名から喚起されるイメージは、本やテレビなど第三者の視点を通して得たイメージが中心になって形作られる。そのイメージはどこか一方通行だ。

 それに対して日本の地名から喚起されるイメージは、第三者の視点を通して得たイメージだけではなく、これまでの人生で関わりを持ったその土地にゆかりのある人達に関する思い出、字から連想される別の地名や言葉、更にその別の地名や言葉に関する思い出と、意識に上るものから上らないものまで色々なイメージが、重層的に響き合って形作られる。海外の地名から喚起されるイメージが一つのメロディーなら、日本の地名から喚起されるイメージは交響曲のようだと思う。

 そしてそれは地名だけじゃなく、人の表情や景色にも言える。旅に出る前は空気のように当たり前だったこの国の人の表情や景色が、僕が生きてきた二十数年間の記憶と大きなものから小さなものまで様々なトンネルで結びついていることを僕は感じる。そしてそういうことを感じる度に、ここが僕の故郷なんだとしみじみ思う。

道の写真を何枚か。
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熊本では熊本城に行ってみた。色々な文化の建築物を見てきた後に日本の城を見ると、その独特さがより感じられて期待していた以上に楽しかった。
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254日目の走行距離約93km(ロカ岬からの走行距離12290km)
255日目の走行距離約79km(ロカ岬からの走行距離12366km)
 朝、インチョン国際空港に着く。外は雨が降っていてかなり寒い。体感では日本の11月くらいの寒さ。インドからベトナムまでずっと暑い国に滞在していたから体がちょっと驚く。

空港からソウル中心部までは、組み立てた自転車を電車に載せて移動。自転車の組み立てもこれで最後。
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 ソウルは既に一度来たことがあってそんなに観光しようという気にならなかったから、ちょっと街を歩いた後は、チムジルバンという韓国式のスーパー銭湯みたいなところで久しぶりにお湯に浸かってずっとまったりしていた。

南大門。
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ソウル一の繁華街ミョンドン。
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 一日目はそのままチムジルバンに泊まり(チムジルバンや韓国のサウナは大抵24時間営業だから、韓国では以後も大抵このどちらかに泊まっていた)、翌日約450km先のプサンに向けて出発した。

 韓国を走るので一番苦労したのは、地図の問題。なぜだか韓国ではこれまでどこの国でも問題なく使えたGoogleマップのナビ機能が使えず、また地名の表記も大半がハングルのみ。その代わりNaverMapという韓国独自のマップサービスが発達していて、自転車のルート検索や自動車専用道を除いたルート検索なども出来る。ただ残念ながら韓国語しか使えないので、韓国語が分かる知人に協力してもらって使い方を覚え、それを利用していた。

まずは漢江に出る。橋を渡っていると川沿いを走るすごく気持ちよさそうな自転車道が見えた。
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 この自転車道は何と国を縦断する形でプサンまで続いている。ルートを考える際、この自転車道を走ることも考えたのだけど、その場合プサンまでの距離は約550kmと約100km遠くなり、あらかじめ予約した五日後のフェリーに間に合わせるのが厳しくなるので一般道を走ることにしていた。でもあんまり気持ちよさそうだったので途中まで自転車道を走ることにする。

週末だったので、本格的なバイクウェアを着てロードバイクに乗っている人から、家族連れでゆったり走っている人まで、たくさんの人で賑わっていた。自動車の音から離れた柔らかいざわめきの中を、涼しい空気を肌に感じながら走るのはやっぱりとても気持ちが良かった。
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段々と都会を離れ、緩やかな山に囲まれた牧歌的な風景に変わっていく。この辺りで自転車道を見失って、一般道に戻った。
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 次の日からはずっと一般道を走った。山を、町をいくつも通り過ぎていく。色々な国を走ってきた後にこの国を走ると、日本とこの国の近さを強く感じる。行きかう人達の表情、テレビのバラエティーのテロップや効果音、お店や看板が消費者に伝えようとするメッセージ、目にする色々なものが日本のそれらが向いている方向ととても近い方向を向いている。最近色々あるけどやっぱりお隣さんだなぁとつくづく思う。

道中の写真を何枚か。
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 ソウルを出発して四日目の朝、プサンまでの距離は残り180km。翌日の18時頃までにはプサンでフェリーの入船手続きをしなければいけないのに、山が多かったり、途中寄り道をしたりでずいぶんと距離が残ってしまった。プサンまで残り120kmくらいの地点で日が暮れ出す。でも翌日のことを考えるとあと50kmくらいは進んでおきたかったので走り続けていると、ロードバイクに乗ったおじさんが話しかけてきた。柔らかい物腰のすごく感じのいいおじさんだった。英語がそこそこ通じるので色々話をしながら一緒に走る。おじさんはロードバイクで僕は荷物をたくさん積んだマウンテンバイクだからだいぶスピードを合わせてもらっていたと思う。ジュヨンさんというそのおじさんは、僕が通ってきた15km手前のテグという大きな街で美術の先生をやっていて、毎日家から30kmくらいの道のりを自転車で通っているらしい。
 
 一時間以上一緒に走って、交差点のところでジュヨンさんは止まり、今夜は家に泊まっていかないか、と僕に尋ねた。すごくありがたかったけど翌日が問題だった。ジュヨンさんにプサンまでの距離を訊くと残り100km。しかも山がいくつかあるらしい。泊まらせてもらうとすると翌日は前回のベトナム以上にぎりぎりになる。でも迷った末に泊まらせてもらうことにした。僕がこの旅から受け取った最良のものの一つはこういう出会いによるもので、ユーラシア大陸最後の夜のこの出会いは、大陸からの餞別のように思えたりもした。それで僕は素直にそれを受け取ろうと思った。

 おじさんの家は静かな山の中の町のはずれにあった。奥さんが作るキムチチゲやジュヨンさんの手作りのビールをごちそうになり、本格的なレコードプレイヤーでクラシックや韓国の古い歌謡曲を一緒に聴いた。かなりの音楽一家で家にはピアノにオルガン、ギターにトランペットがあった。奥さんは少し前までプロのピアニストだったらしい。ジュヨンさんはあまり得意ではない英語で、聴いている音楽の良さを話してくれた。柔らかいけど感情のこもった声だった。その話を聞いていると全く言葉が分からない韓国語の歌でも少し情景が見えてくるようだった。旅の話もした。ジュヨンさんはいつか沖縄を自転車で走るのが夢らしい。

翌日の早朝、ジュヨン夫妻に見送られて出発。
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ユーラシア大陸も残り約100km。ジュヨンさんと出会ったおかげで、最期にもう一度、この旅全体のしっかりとした手応えを感じながら走ることが出来た。
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夕方プサンに着く。案の定観光は全く出来なかったけどまあいいや。
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無事にフェリーに乗り込む。写真はプサンの夜景。ユーラシア先生、ありがとうございました!
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247日目の走行距離約87km(ロカ岬からの走行距離11871km)
248日目の走行距離約108km(ロカ岬からの走行距離11979km)
249日目の走行距離約93km(ロカ岬からの走行距離12072km)
250日目の走行距離約79km(ロカ岬からの走行距離12151km)
251日目の走行距離約100km(ロカ岬からの走行距離12251km)

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Author:さんふぃ
ポルトガルロカ岬から、日本に向かって主に自転車で旅行中です。

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